照ノ富士の一人横綱状態が過去2番目に長い丸3年に達した。

  • 「辛抱できれば」 耐えた琴桜が初の賜杯 祖父を追いかけ綱とりへ

 2007年夏場所まで3年半を一人横綱で耐えた朝青龍は当時20代半ばだったが、照ノ富士は今月29日で33歳になる。満身創痍(そうい)だ。

 好敵手はおろか、後継者も出てきていない。

 照ノ富士が新大関になったのは15年。それ以来、大の里が大関としてこの九州場所に臨むまで、9人がその地位に就いたが、誰も最高位に上がれていない。昭和以降に生まれた大関の2~3人に1人が横綱になったことを考えると、停滞感がある。

 ようやく、打破されるのか。

 03年名古屋場所の魁皇―千代大海以来だった千秋楽の大関相星対決を制し、琴桜は14勝目を挙げた。14勝以上で優勝した大関は17年初場所の稀勢の里以来で、琴桜は初場所で文句なしの綱とりに挑む。

 13勝で優勝に次ぐ成績を残した豊昇龍について、高田川審判部長(元関脇安芸乃島)は「来場所の相撲次第」と述べた。初場所後の横綱昇進への可能性を否定しなかった。

 豊昇龍は言う。「絶対忘れない。やり返す」

 2人の横綱が同時に誕生したら、1970年初場所後にそろって昇進した玉の海、北の富士以来の出来事となる。(鈴木健輔)

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