青山学院大学のキャプテンとして、史上5校目となる大学四冠に導いた、広島カープのドラフト1位、佐々木泰。期待の「背番号10」の地元・岐阜への帰省にカメラが密着しました。
佐々木泰「地元っていうのはすごい思い入れのある場所でもありますし、帰ってきたらすごい安心するっていうか、落ち着くんで」
ドラフト1位、青山学院大学の佐々木泰。
大学野球を引退後、初めての帰省でお昼に訪れたのは思い出の店でした。
父・貴さん「4歳、5歳の野球始めたぐらいから、もう通ってましたんでね。懐かしいです昔のことが」
佐々木泰「(このお店のカツ丼は)卵ふわふわで、見た目が特徴的っていうか、他の店で味わえない新食感を楽しめるので、ぜひ岐阜にいらしたときは、来ていただけたら嬉しいかと思います」
この店で必ず注文するという、カツ丼とラーメンをあっという間にたいらげる大食漢の佐々木ですが、お店に通い始めた頃は、真逆の印象の少年だったようです。
朝日屋「ちっちゃくてとても可愛くて、でも体を作らなくちゃいけなかったんで、とても無理して食べていました。」
身体が細くて小柄だった野球少年が、プロ入りへのターニングポイントを迎えたのは中学2年生の冬でした。
中学時代のコーチ・土居松太郎さん「ピッチャーもやってて、(佐々木の)一学年下(の選手)が、めちゃくちゃ彼のボールを打つんですよ。何投げても打たれるみたいな覚えてる」
佐々木泰「覚えてます。なんかランニングホームランライトに打たれた」
土居松太郎コーチ「もういいわって言って、出ろって言って出して、サードこの後守らせようと思ったらいないんですよ。佐々木どこ行ったんや!ってなったら、『ブルペンで泣いてます』っていうね。『土居コーチ。僕はどうやったらうまくなるんですか?』って聞いてくるんですよ」
佐々木泰「たぶん、あったっすねそういうこと」
土居松太郎コーチ「当てる技術はあるんですけど、非力なところがあって、ご飯をまず食べることと、走ることをちょっと頑張れよっていうふうな話の中で、そしたら彼が『ご飯に合うおかずって何ですか?』って泣きながら聞いてくるんですよ」
佐々木泰「それで明宝ハム」
母・純子さん「こどもが帰ってきて。『お母さん、明宝ハム!』って言ったもんで、明宝ハムを買いに行った覚えがある。思い出しました。常に明宝ハムをおかずにご飯食べていました」
ドラフト1位・佐々木泰を作ったもう一つの原点は、自宅のすぐ隣にあります。もともとは父・貴さんが営む会社の工場があったこの場所が、佐々木が小学生だったある日、室内練習場に変わりました。
当時の様子について4歳上の兄、省一さんは、はっきり覚えています。
兄・省一さん「サプライズで父親が作ってて、野球の練習が終わったか何かのタイミングで、どうだこれはっていうので見せてもらったんですけども、僕よりも弟の方がはしゃいでるような感じで、これはすごいっていうので、」
父・貴さん「きっと2人とも喜んでくれるだろうなという思いでね、必死になってやったのを覚えてますね。」
バッティングマシンも設置された室内練習場。
放課後にはチームメイトが集まって切磋琢磨する場所となり、佐々木が高校を卒業するまで毎日、打球音が響きました。
「ドラ1おめでとう!」
中学時代の恩師と仲間との食事会。佐々木の成長についての話題で盛り上がりました。
土居松太郎コーチ「当時ボーイズんときは、めちゃくちゃ足遅いんですよ」
中学・高校時代のチームメイト・服部圭吾さん「いや、めっちゃめっちゃ気になったんすよ、俺も。高校入ってからめっちゃ早くなった。マジ早くなった。」
佐々木泰「大学生になってから、下半身トレーニングめっちゃして」
土居松太郎コーチ「どんなトレーニングであんな速くなるん?」
佐々木泰「スクワット。あとボックスジャンプします」
このお店にも、佐々木の身体を作った岐阜名物の明宝ハム。応援してくれる地元の仲間との時間を過ごし、カープの新たな背番号「10」は英気を養いました。
佐々木泰「10番。こんな良い番号もらえると思っていなかったので、この番号に恥じないようにというか、広島の10番と言えば、佐々木泰と思ってもらえるようなプレイヤーになりたい」
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