今年10月に51歳を迎えた野球界のレジェンド・イチローに独占密着した。今年で4回目を迎えた高校野球女子選抜チームとの試合(9月開催)では、イチローの声がけにより松井秀喜(50)が初参戦。初めて同じユニフォームを着て試合することが実現した。意図せずもすれ違いが重なり、ついには不仲説まで生まれた二人が10年ぶりに再会。そこで語られた野球界への思いとは。
過度なデータ依存への危機感
10月に、イチローは51歳になった。この夜、同世代の仲間を食事に誘った。自分たちの野球を分かち合い、その未来を語り合いたかった。
松井秀喜:今のメジャーの試合見て、それこそストレスたまらないですか?
イチロー:溜まる溜まる、めちゃめちゃ溜まるよ。
松井:ですよね。
イチロー:退屈な野球。何か起こるのを待っている野球だから。
松井:打順の意味とか、そういうのが薄れちゃってますよね、なんか。
イチロー:それぞれの役割とかが全くないもんね。怖いのは日本は何年か遅れでそれを追っていくので、危ないよね。この流れは。
テクノロジーを駆使する現代のメジャーリーグ。とりわけ「データ」への過度な依存に、イチローは野球の危機を見ていた。
イチロー:全てデータで管理をしている。それを追求していくんだ、と。必要な時にそれはオンにすればいいけど、常にある状態。見えるところにあるんで、頭を全然使っていない。まさしくMLBの野球がそうなっていて・・・。
野球は、自分の頭で考えてこそ面白い。そう信じて生きてきた。
母校の後輩へ「見えていないところを大事にしてる?」
今年11月、母校・愛工大名電を訪問したイチローは、後輩たちにこう投げかけた。
イチロー:(走塁練習の際に)このデータはある?ない?どう?愛工大名電の中でなんか出てる? こうした方がいいデータある?
生徒:出てないです。
イチロー:出てないでしょ。色々なことがデータで見えちゃってるでしょ。でも見えてないところをみんなは大事にしているんだろうか?
「背番号51」が、今、伝えたいこと。
「51になる歳にこんな状態になるなんて」
6月、すでに夏の日差しの神戸のグラウンドに、イチローの声が轟いた。「KOBE CHIBEN」は、現役引退後に作った野球チームだ。野球を純粋に楽しみたい。イチローの思いに賛同した、同級生や呑み仲間が集まった。経験の有無は問われない。
イチロー:清家くんライト、ファーストに紺野くん。僕、ショート入って・・・廣澤くんサード。
イチローがチームを率いて5年になる。 練習は真剣そのもの。イチローが大切にしているのは、懸命にボールを追う姿勢。仲間たちのプレーに一喜一憂していた。
イチロー:あー、疲れた・・・。疲れたよ。
ベストを尽くす姿勢は、ここでも変わらない。
(ファーストゴロの際、ベースカバーに入った投手へのトスについて指導)
イチロー:だいぶトスが速くないと。ベースの近くだと捕りながら(ベースを)探さないといけないんで。なるべく速く。最低それくらい。(足が)速い選手は(ベースを走り)抜けられちゃうんで・・・もう一本。(実践して)タイミングとしてはそういうこと。
今年は、あの松井秀喜(50)もチームに加わることになっていた。
イチロー:(三塁を守り三塁線への打球に飛びつくイチロー。)こんなユニフォーム汚すことないのにね。高校時代はこれが嫌でね、僕はダイビングとかしなかった。真っ白のユニフォームが僕のプライドだったんで。ユニフォームを汚さないっていうのが僕の大事にしてたことだから。51になる歳にこんな状態になるなんて考えられないよね。
「高校野球のレベルを楽々と駆け抜けてプロへ行く」そう誓った若き日が、今は懐かしい。
チームは、高校野球女子選抜との対戦を控えていた。女子野球の普及に繋がればとイチローは、3年前から毎年試合を行っている。メンバーには松坂大輔(44)もいて、回を重ねるごとに注目度が高まっていた。
高校時代、ピッチャーだったイチロー。今も、マックス138キロを出す。女子に130キロを超す投手はまだいない。未知のレベルを体験してほしいと、練習を重ねた。
イチロー:もはや女子は完全にナショナルチームに近い状態でくるわけだから。お客さんも来てくれるしね。まず普通に野球ができなきゃいけない。遊びじゃないって言ってるし、実際そうだし。勝負だからね。
「ヒデキマツイ」を迎え入れ決起集会
そして、試合前夜。イチローは、この日ニューヨークから帰国する 松井を、松坂とともに待っていた。
イチロー:来るよ。足音が聞こえてくるね。ガシャーン!ガシャーン!ガシャーン!ガシャーン!て。・・・(登場して)いぇーーい!
松井:どうも。どうも。
イチロー:ヒデキマツイ!
松井:なんでそんなテンション高いんですか?(笑)
イチロー:元気?
松井:元気ですよ。
イチロー:ダイスケマツザカ。
松坂大輔:お願いします。
松井:元気そうじゃん。
イチロー:いやー、よく来てくれたね。
松井:お誘いありがとうございます。
一同:お願いします。
イチロー:松井選手です。
松井:お世話になります。よろしくお願いします。ありがとうございます。
イチロー:今日ね、会食だし決起集会だから、できるだけカジュアルに来てって言って、僕はこんなんですわ。短パン。僕の人生で一番短い短パン、Tシャツ(笑)
松井:私もTシャツですよ(笑)
イチロー:「私」とかいう人だから(笑)いや嬉しいじゃないですか。今日はもう記念すべき。
松井:食事するの初めてですよね?
イチロー:初めて。(松井を)どう呼ぼうかと。大輔とさ、昨日。
松井:いや、「松井」でいいじゃないですか。
イチロー:(改めて)いやぁ久しぶりに・・・10年くらいでしょ。松井っていうのもなんか、なんかしっくりこないなって。大輔なんか「ヒデキ」でいいじゃないですかって。それも違うよな。それで、「ヒデキマツイ」で迎え入れました。
松井:イチローさんの呼びやすいように。
イチロー:そうですか。
年齢は、イチローがひとつ上。二人とも中学時代から注目され、高校で、イチローはピッチャーとして、松井は甲子園常連校(石川・星稜高)の4番打者として、互いの存在を意識し始めた。
イチロー:うちの寮にね、星稜が(来て)。交流試合やってたから。僕らが行ったり星稜が来たり。あれ(松井が)2年の頃だから、夏の前。
松井:イチローさんが、3年でした。
イチロー:そうだよね。だから名電の寮に来て、話してるんですよ。一緒にシャワーも入ってるんですよ。僕は3年生で練習しないから、一番風呂なんですよ。その前に(松井が)入っとったんですよ。
(一同爆笑)
イチロー:おい!おい!ってなった。でもまぁ、お客様だから。
松井:ゲスト、ゲストだから(笑)
イチロー:ゲスト。まあ、しょうがない。ヒデキ・マツイだし。
松井:中学の時もお互い勝ったら対戦だったんですよ。
イチロー:そうだね。
松井:すごいピッチャーがいるって噂になってた。 負けちゃってんだもん。俺は勝った。ピッチャー・イチローと打者・松井はやってないんですよ。
イチロー:そうだね。
「色々すれ違っているんですよ」いつしか不仲説も・・・
高校を卒業した二人はともにプロの道へ。イチローは1991年ドラフト4位でオリックスに入団。一方、松井は1992年ドラフト1位で巨人に指名された。
同じ外野手で、左打ち。けれど二人は、対照的な野球人生を歩む。片や、セ・リーグの名門、巨人軍のパワーあふれる4番打者。片や、パ・リーグの地方球団でヒットを重ねる、細身の職人的バッター。見た目も、置かれた環境も好対照。本人たちの思いをよそに、周囲はまるでライバルのように囃し立てた。
そんな二人が、ついに直接対決か、という場面があった。96年のオールスター第2戦で、ピッチャーにイチロー。打順は、松井だったが…。
(場内アナウンス:松井に代わりまして高津臣吾)
松井:オールスターの時も(セ・リーグの監督だった)野村(克也)さんが代打だったりね・・・。
※マウンドにイチローが上がると、野村監督は松井に代え、代打・高津を告げた。
イチロー:そうそう。そう、そうだよね。
松井:そう、あの時ね。
イチロー:そうそう。あの時はねオールスターが3試合あって。仰木監督がやっぱりそれはファンも飽きちゃうからって言って、それ(イチローの投手起用)を宣言してたら、そこが松井秀喜だったわけよ。9回2アウトで。
松坂:たまたま?
イチロー:別に松井秀喜に当てにいったわけじゃなくて「9回2アウト」。
松坂:で、行くっていうのはもう決まってたんですか?
イチロー:そうそうそう。
2001年、イチローはメジャーに挑みシアトル・マリナーズに入団。10年連続で200安打を達成するなど前人未到の活躍を見せた。すると2年後、松井がヤンキースへ入団。名門の主軸を担った。だが、現役時代に、二人が同じユニフォームで試合をする機会はなかった。
松井が一度も参加しなかったWBCで、イチローは連覇を達成する。一方松井は、イチローが成し得なかったワールドシリーズを制し、日本人として初のシリーズMVP(2009年)に輝いた。少年の頃から、野球に同じ夢を見た二人。だが、意図せぬすれ違いが、いつしか不仲説まで生んでしまった。
松井:色々すれ違ってるんですよ。
イチロー:近いようで、確かにね~。
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