日本選手権10000mが5月3日、パリ五輪代表選考会を兼ねて静岡県袋井市のエコパスタジアムで開催された。男子は葛西潤(23、旭化成)が27分17秒46の日本歴代4位で優勝。日本記録(27分09秒80)より10秒も高いパリ五輪参加標準記録の27分00秒00は突破はできなかったが、2週間後のロンドンのレースで世界ランキングを上げることができれば代表入りも可能となる。また5位の相澤晃(26、旭化成)は故障明けながら27分34秒53の5位。まだ世界陸連サイトのRoad to Paris 2024(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)には反映されていないが、10000m出場選手枠の27人に入る可能性が高い。
日本選手権翌日に2人を取材し、新鋭の葛西が自信を得た練習内容や、相澤の10000mという種目への思いを聞いた。

葛西が優勝に「密かな自信」を得た練習とは?

葛西はレース前の自身の立ち位置を、「優勝候補にはまったくあがっていませんでしたね」と笑いながら話した。

「しかし良い練習はできていたので、優勝も狙えるかな、と密かに思っていました。相澤さんもニューイヤー駅伝後にケガをされていたので、手負いの状態ではありますが勝てるときに勝ちたかった。ラスト1200m(残り3周)、1000mくらいから少しずつ自分でリズムを作り、ラスト800mで仕掛けて勝ちきるレースプランを考えていました」

葛西はその通りの展開を実行し、残り800mからのスパートで太田智樹(26、トヨタ自動車)、前田和摩(19、東農大2年)を振り切った。
葛西が自信を得ていた練習とは、どんな内容だったのだろうか。

「特定のメニューではなく練習の流れ全体で、1周(400m)64~65秒の動きが力まず出せると感じていました。日本選手権は1周66秒に設定されていましたから、そのペースなら10000mを押して行ける。ラスト800mは2分2秒でしたが、2分を切れるんじゃないか、というメニューを行うことができました」

昨年11月の八王子ロングディスタンスで27分36秒75と、当時の自己新で走ったが、「練習ができていなかった」と言う。

「そのレースの設定ペースで行けるのか不安がありましたし、走っている間も今回よりかなりキツかったですね」

大学4年間は「ケガを繰り返していた」ため、4年時の全日本大学駅伝と箱根駅伝で区間賞は獲得したが、トラックで好記録を出すことはできなかった。「旭化成に入社して夏までは5、6割で練習を行い、ケガをしない体ができてきた秋から7、8割にして、相澤さんたちと良い練習ができ始めました」。八王子の27分36秒75はまだ、練習強度を上げて間もない頃に出した記録だった。

葛西が話した「64~65秒」は10000m換算で、パリ五輪標準記録の27分00秒のペース。2週間後のロンドンでの大会で、葛西はそのペースに挑む。仮に標準記録を突破できなくても、Road to Paris 2024の順位を大きく上げる結果を残すだろう。旭化成から男子10000m代表が生まれれば、東京五輪の相澤に続き6人目となる。

相澤の考える10000mの魅力とは?

日本選手権5位だった相澤も、パリ五輪代表入りを断念したわけではない。公表されるのは数日後になるが、Road to Paris 2024の順位が出場人数枠の27人に入っている可能性が高くなった。27人に入っていなくても、五輪直前に出場辞退者が出れば追加招集のような形で出られることもある。

「パリ五輪を10000mの集大成と考えていて、東京五輪(17位)より少しでも前で勝負したいと思っていました。だから日本選手権に合わせられなかったのはすごく情けないです。2週間後のロンドンを僕も走ります。葛西に負けない気持ちは持っていますよ。今回より良い走りができるかわかりませんが、少しでも世界ランキングを上げられるなら挑戦したい。可能性がゼロではない限り、本番まで10000mを走る万全の準備をします」

来年の世界陸上東京大会にはマラソンで挑戦する予定で、練習も昨夏からマラソンを意識した内容になっている。その練習で昨年12月の日本選手権10000mを27分13秒04(日本歴代3位)と、当時自身の持っていた日本記録(27分18秒75)を上回った。今は10000mで結果を出すことに集中している。

「東京五輪選考の日本選手権(27分18秒75)の頃は、自分や伊藤(達彦26、Honda。東京五輪代表)が一番年下で、鎧坂(哲哉34、旭化成)さんや大迫(傑32、Nike)さんたち代表経験のある先輩たちが多くいましたから、緊張感やプレッシャーはそこまでありませんでした。今回は僕らの世代が引っ張って行く立場でしたし、葛西たち年下の選手がすごく強くなってきた。プレッシャーはありますが、年下の選手に刺激されて、頑張らなくちゃいけない気持ちも強くなってきましたね」

駅伝を頑張ることで成長し、最終的にはマラソンで世界と勝負する。だが日本代表を経験してきた10000mに対しても、相澤は強い思いを持っている。だからこそ、東京五輪後もう一度、10000mでパリ五輪を目指すと決断した。

「駅伝よりスピードが必要で、正直やっていてキツいです。ただ終わった後の達成感は、駅伝も独特のものがありますが、10000mもすごく大きいですね。オリンピックや世界陸上をテレビで見ていて、憧れたのはモハメド・ファラー選手(英国。5000m&10000mで五輪金メダル4個、世界陸上金メダル6個)です。同じ舞台に立ちたい思いは強くありますし、東京五輪は無観客でしたが、大観衆のワァーっていう歓声の中を走ることができるのはトラック種目です。それは10000mの一番の魅力だと思います」

だから相澤は、故障に苦しめられても心が折れることはなかった。パリ五輪を絶対に走るつもりで8月まで突き進む。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

※写真は左から相澤選手と葛西選手

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