RBC「NEWS Link」が全力で中高生のスポーツを応援するシリーズ「全力部活」が今年もスタート!
初回は、今月開幕する県高校総体を前に、相撲で日本一への返り咲きを狙う中部農林高校3年の眞榮里優翔(まえさと・ゆうと)選手を紹介する。その強さの裏には、共にトレーニングを積む「大きな存在」があった。

天性の感覚を持った眞榮里



■中部農林高校相撲部 眞榮里優翔(3年)
「細い人は気持ちが中途半端だったら、絶対勝てない。小さい人でも大きい人にはできない動きがある。ほぼ「野生の勘」みたいな感じで。とにかく、相手を倒すというか、殺しにいく感じで」
眞榮里優翔は2022年3月、1年生ながら出場した全国高校選抜の80キロ級で県勢初の日本一に輝いた。

■小濱寿監督
「出会ったとき、彼が小学校の頃からですけど、教えてもできないような、彼にしかない感覚があるんです。人の力をごまかすというか、すかすというかですね。だからと言って、逃げている相撲じゃないんですよね。向かっていきながら、のテクニックなので」
小学生の頃から、自分より体格の大きい選手たちを相手に県大会で優勝を重ねてきた眞榮里。日本一になった2022年の試合を、こう振り返る。

■眞榮里優翔
「夢みたいでしたね。プレッシャーも何もなくて、1年生ということあって、ただ相撲をとって絶対相手を倒せばいいと思っていたので」

強さの秘訣を子どもの頃から養ってきた「野生の勘」と表現する眞榮里。小さい頃から外で遊び、戦うことが好きだった彼が、特にハマったのが・・・

闘牛だ

愛する牛とともに磨いてきた強さ

■眞榮里優翔
「相撲に似ているなと思って、牛も必死で戦うので、1対1で。そこに魅力を感じて。必死さにほれました」

出会いは小学2年~3年生の頃だったという。

■眞榮里優翔
「相撲の大会が終わった後に、牛が乗ったトラックが通ったのを見て。自分が元々動物が好きなので、闘牛大会に行きたいとお父さんに言って」

好きが高じ、実家の浦添市から牛舎のあるうるま市に通いつめ、小学生の頃から牛の世話をしてきた。

牛と共に、眞榮里はその強さを磨いてきた。しかし、高校1年で高校日本一に輝いた眞榮里は、その後大きな挫折を味わう。全国チャンピオンとして臨んだ去年の県高校総体、80キロ級決勝。先輩力士にまさかの敗退を喫し、全国切符を逃したのだ。

挫折も・・・「負けを経験して強く」

■眞榮里優翔
「今まで小学校の頃から優勝してきて、「負けるんだ」と思って。本当に自分は負けず嫌いだったので全部負けたのが悔しくて」

実は中学1年の時、背骨を折る大けがを負った眞榮里。2022年の日本一の後、疲れなどから再び腰などに痛みや違和感が出始め、思うような相撲が取れなくなった。

そして5月3日、無差別級の県大会に出場した眞榮里。腰に痛みが残るなか、2回戦に挑んだ。相手は、70キロの体重差がある那覇国際高校の狩俣弥央望(かりまた・みなせ)。眞榮里にとっては、自身の2倍の体重を誇る相手。しかし、万全でない状態の眞榮里は諦めない。足を細かく動かし、土俵を広く使いながら、狩俣の突っ張りをいなし、隙をうかがう。

■眞榮里優翔
「相手の体力を削って、勝ちたいって思いがありました」
悔し涙に終わった試合、しかし指導する小濱監督はー

■小濱寿監督
「負けを経験して、精神的に強くなっているところがあると思う。そこに肉体が戻ってくれば鬼に金棒じゃないですが、優勝してもおかしくない存在だと思うので」

■眞榮里優翔
「自分では全然まだまだ。全国優勝できると思うので、全国優勝できるまで頑張ります」
負けた悔しさが自身をさらに強くする。涙を次の勝利につなげるため、眞榮里の夏の奮闘は続くー(取材:下地麗子)


【取材後記】
3日の負けは、眞榮里の主戦場ではない無差別級での出場。100%ではぶつかれない状態の中で果敢に挑んだ眞榮里の悔し涙が印象的でした。県総体では日本一を目指す80キロ級にも出場予定です。高校卒業後は牛のひづめを整える仕事「削蹄師」を目指すため、相撲を引退すると決めています。10年以上続けてきた相撲。最後は負けるわけにはいかないと、奮起を誓っていました。

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