投資バブルが崩壊

超高層ビルは、一国の経済の盛衰を映し出す。ニューヨークのマンハッタンで102階の威容を誇る「エンパイア・ステートビル」は、その昔「エンプティー(空っぽの)ステートビル」と皮肉られた。建設中に1929年の「大恐慌」に遭遇、長らくテナントが埋まらず、42年間も「世界1高いビル」の座にとどまった。

中国の天津市には「世界最高の未完成建築」と呼ばれるビルがある。「高銀金融117」で、600m近い骨組みが、雨ざらしになっている。深圳市には、ドバイの「ブルジュ・ハリファ」(828m)に次ぐ、世界第2の超高層ビルになるはずだった「世茂深港国際中心」が、施主の資金難で、工事の初期段階で放置されたままだ。

「デフレスパイラル」──物価下落と実体経済縮小の悪循環を指す。ブルームバーグ、ウォールストリート・ジャーナルなど海外経済メディアが相次いで、中国経済のデフレスパイラル化に警鐘を鳴らした。

物価変動を表す中国の国内総生産(GDP)デフレーターは、この4-6月期で、5四半期連続のマイナスになり、デフレ定着を裏付ける。給与のカットや遅配が横行、若年層の失業率が高止まりし、ショッピング・モールから人影が失せるなか、外食チェーン店が、1食3元(約60円)の朝食セットを売り出し、話題になっている。

デフレは「不動産バブル」崩壊のせいとの見方が有力だ。2020年8月、ケネス・ロゴフ米ハーバード大学教授の「ピーク・チャイナ・ハウジング」と題した論文が出た直後、デベロッパーの恒大集団の経営危機が表面化した。だが、バブルは不動産に限らない。

国際通貨基金(IMF)のデータベースによれば、「保八」(年8%以上の成長率堅持)を唱えた胡錦濤政権下の04年以降、官民合わせた総投資のGDPに占める比率は4割を超え、民間消費支出を上回り続けた。そんな国は、データベースのどこを探しても、中国のほかに見当たらない。例えば公共投資。中国の高速道路は、98年の上海地区を皮切りに、22年までに総延長が世界最長の17.7万キロと地球4周分強に達した。

中国版新幹線の高速鉄道の総延長は、08年の開業から瞬く間に地球1周分の4万キロを超えた。だが、辛うじて黒字なのは北京ー上海間だけで、運営する国家鉄路集団の債務は120兆円を超える。

地方政府は、陰の銀行の「地方融資平台」(LGFV)を介し、デベロッパーなどに融資し、開発プロジェクトを競った。LGFVの債務総額は約1300兆円とされる。

企業部門の旺盛な設備投資の帰結が「中国の過剰生産力」だ。国の補助もある電気自動車(EV)、EV用バッテリー、太陽光パネルなどが市場にあふれ、欧米先進国での、EVなどの関税大幅引き上げを招いた。

だが、投資に次ぐ投資にもかかわらず、胡錦涛政権の最終年の12年、中国のGDP成長率は8%を割り、以降は、ほぼ右肩下がりの軌跡をたどっている。

改革開放を”逆走”

後を襲った習近平政権の過ちは、投資バブルの崩壊を傍観したまま、鄧小平氏が成長戦略の切り札とした「改革開放」路線を”逆走”したことだ。

「国有企業は、より強く、より優秀に、より大きく」と公言した習氏の経済政策(習ノミクス)は、国有企業に肩入れする一方、外資を含む民間企業には手厳しい。企業内に共産党委員会の設置を義務付け、先端ハイテク企業だったアリババやテンセントに因縁をつけ、罰金を科した。

経営介入の恐れに加え、反スパイ法の強化もあり、外資の中国からの撤退が相次いだ。国外に移住する中国人富裕層も増えた。キャピタル・フライト(資本逃避)が起きたのだ。

故李克強首相は22年8月、北戴河会議で習氏の3期目の続投と自身の退任が内定した後に、経済特区の深圳を訪れ、鄧小平像に献花し「改革開放は引き続き進めなければならない。黄河と長江は逆流しない」と言い切った。習ノミクスへの痛烈な批判だった。

魔天楼を空っぽにした「大恐慌」で、米国のGDPは最悪時に35%ほど低下したと推定される。中国のデフレスパイラルも、恐慌化のリスクをはらんでいる。

年初から、24年の成長目標5%の達成が危ぶまれたにも関わらず、習氏は「中国経済の未来は光明に満ちている」と根拠のない光明論を唱え、政権3期目の経済運営の骨格を決める「3中全会」開催を延び延びにし、やっと開いた7月の同会でも、本格的な景気対策を打ち出さなかった。

だが、9月に入り潮目が変わった。中国の中央銀行にあたる中国人民銀行の易鋼前総裁が、シンポジウムで「デフレ圧力との闘いに集中すべき」と強調。先輩の言をなぞるように、人民銀行が短期金利0.2%の利下げと、預金準備率引き下げに踏み切った。

財政面でも、景気対策の財源にする超長期特別国債2兆元(約40兆円)の発行が検討されているようだ。消費刺激と地方政府への財政支援に充てるという。いかに経済音痴の習氏といえども、「ブゥードゥー(呪術)経済学」のような「光明論」では乗り切れそうにない、と悟ったのだろう。

戦後の世界では、摩天楼を空っぽにしたような「大恐慌」は起きていない。08年9月の米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した金融危機は、先進諸国に伝播し世界同時不況の様相を呈したが、09年の世界経済成長率はマイナス0.1%にとどまった。

大恐慌の産物ともいえる「ケインズ経済学」の普及が見逃せない。ケインズは、不況時には倹約しないで、財政出動や金融緩和により「有効需要」を増やすことで乗り切れる、と説いた。

どうやら中国も、ケインズ流でデフレに対処する気になったようだが、過去20年ほどの投資に次ぐ投資で膨張したバブル崩壊の穴を埋めるのは並大抵ではない。伝えられる財政、金融の景気刺激策では、1ケタ小さいのではないか、と思える。

日本のバブル期は86年末から91年初めまでの4年余りだった。その後「失われた30年」と呼ばれた低迷期が続き、世界経済に占める日本のGDPのシェアは、95年の17.6%をピークに、直近では4%強にまで縮小した。

中国のドルベースの名目GDPの世界シェアは、21年の18.3%をピークに23年には16.9%まで縮小した。この先、生産年齢人口の減少を考慮すれば、中国経済の歴史的台頭の時代は終わった可能性が高い。習氏の「経済失政」の責任は、きわめて重い。民主体制なら、とっくに政権交代しているところだ。

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