南太平洋のフランス領ニューカレドニアで、分離独立を目指すデモが引き金で発生した大規模な暴動。背景には、「自治」を認めてきた先住民カナクに対し、地方参政権を移住者に広げる改憲案を可決するなど本国が強める締め付けへの反発がある。非常事態宣言は解除されたが、対立の火種はくすぶり続ける。(西田直晃)

大規模暴動が起きたニューカレドニア・ヌメア=5月下旬(勝俣誠氏提供)

◆19世紀にフランスが植民地化

 暴動は5月中旬に発生。フランス政府は15日夜(現地時間16日朝)に非常事態宣言を発令し、軍を派遣。これまでに憲兵2人を含む計7人が死亡、280人以上が逮捕された。宣言は現地時間28日朝に解除された。  だが、現地の教員アミド・モカデム氏のウェブサイトが「実際は20人ほど死んだ」と発信するなど、フランス政府の情報統制を訴える声も上がる。モカデム氏は、1998年のサッカー・フランスW杯優勝メンバーのカナクの英雄、クリスティアン・カランブー氏のおいとめいの死に触れ、「共感と結束が強まっている」としている。  ニューカレドニアは、オーストラリアの東に浮かぶ南太平洋の島々。1853年にフランスが植民地化した。観光地として名高く「天国に一番近い島」とも呼ばれる。入植当初は政治犯やアラブ人の捕虜が流刑され、19世紀後半のニッケル鉱山開発後、日本を含むアジア人の鉱山労働者が多く移住した。

◆独立を求めて住民投票は行われたが…

 「その過程で虐げられてきたのが、島の人口の約4割を占め、今も独立を求める先住民カナクだ」と、富山大の佐藤幸男名誉教授(国際政治学)は解説する。大規模な暴動は19世紀後半以降から数えれば3度目。2度目の1988年の暴動後には、ミッテラン大統領(当時)が独立派と自治の拡大で合意した。その10年後には、独立の賛否を問う将来的な住民投票の実施を約束した。  だが、佐藤氏は「約束は沈静化のための方便に過ぎなかった」と語る。住民投票は2018年以降に3回にわたり実施。18、20年は賛否が拮抗(きっこう)しながら独立反対が上回ったが、21年はカナクを中心とする独立派の多くが投票を棄権せざるを得なかったという。明治学院大の勝俣誠名誉教授(国際政治経済論)は「当時はコロナ禍。移住者が集住する南部を除けば、投票は困難だった。北部に分散するカナクは延期を要請したが、投票を強行された。狡猾(こうかつ)な排除だ」と批判する。

◆経済格差のうっ積が爆発

 今回の暴動は「居住歴10年以上の住民への地方参政権付与」を決めた本国の憲法改正に対し、カナクが独立派の票の比率が下がることを警戒したとされる。佐藤氏は「不当な住民投票に加え、移住者増加がカナクを北部の貧困地域に追いやった。経済格差に対する積年の不満が爆発した都市暴動の側面もある」とする。  国連総会はニューカレドニアを巡り、現状は「非自治地域」にあると警鐘を鳴らしてきた。「独立への道が閉ざされたのは、日本にも遠因がある」と佐藤氏。安倍晋三政権の「インド太平洋構想」により、ニューカレドニアでの日仏合同の軍事訓練が始まり、独立を阻むスローガンに「中国脅威論」が使われたという。日本が主催する「太平洋・島サミット」はニューカレドニアを独立国家と同様に扱ってきたが、「現実的には独立回避の秘策を日仏両政府が合作した」とみる。  今回、マクロン大統領は地方参政権の拡大を「強行しない」と表明し、独立派に歩み寄る姿勢を見せた。だが、佐藤氏は「パリ五輪開催までの便宜的な措置。今後も締め付けは強まる」と見通す。勝俣氏は「3回目の住民投票のやり直しが必要だ。このままでは暴力の連鎖が続く」と訴える。 

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