イギリスで1970年代から90年代にかけて、広く用いられていた血液製剤の血液にHIVウイルスや肝炎ウイルスが混入していたことにより、3万人以上が感染し、約3千人が死亡した。政府が設置した調査委員会は2024年5月20日、政府の責任を認める最終報告書を発表。これを受けてスナク首相が謝罪し、政府は被害者補償のための計画をまとめた。一体なぜここまで時間がかかったのか。

イギリスでも起きていた日本と同様の薬害問題

主に血友病(出血時に血が止まりにくい病気)患者に対して使用されていた、ヒトからの血液を原料とする非加熱血液製剤。日本でも起きた薬害エイズ事件と同様、非加熱のままの血液製剤にウイルスが混入していたことで患者がHIVや肝炎に感染した。また、血液製剤は血友病患者以外に出産や手術などで輸血を受けた人の感染も引き起こした。

1970年代に従来の血友病の治療法であった輸血に代わって手軽で安価な血液製剤が導入された。ただ、血液製剤は何万人もの血液から必要な要素を抽出、濃縮して製造されたものであるため、一人でもウイルスに感染しているドナーがいると感染のリスクが及ぶ可能性が指摘されていた。当時は使用する血液のスクリーニングやウイルスを不活性化する加熱処理はまだ行われていなかった。

さらに、外国産の血液製剤が輸入されるようになったことが、感染の危険性をより高めたと言われている。特にアメリカでは献血者に報酬が支払われる制度だったため、囚人や薬物依存者などHIVや肝炎に感染している確率が高いとされるドナーからの血液が含まれていた。

薬害問題で亡くなった人々の写真
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当時も感染リスクは指摘されていたものの、政府の対応は後手後手に回った。1982年、アメリカでHIVに感染しエイズを発症した血友病患者の死亡が報告され、翌年にはWHO(世界保健機関)などが血液製剤のリスクを警告。イギリス政府は問題を認識しながらも、血液製剤の供給を優先し続け、患者にリスクを伝えることはなかったという。

1984年まで血液製剤の加熱処理は普及せず、C型肝炎検査を導入したのも90年代に入ってからだった。先進国の中でも最も遅い対応だったと言われるイギリス、結果的に血友病患者の少なくとも3650人、輸血を受けた人の2万6800人がHIVや肝炎に感染したと推定されている。

「エイズと聞いて、父が同性愛者だったのではと思った」

4歳の時に父をHIVとC型肝炎の両方の感染で亡くし、被害者支援団体Factor 8を立ち上げたジェイソン・エヴァンス氏は、「幼いとき、父が死んだ事実をほとんど理解できなかった。何年もの間、母に『お父さんはいつ帰ってくるの?いつ戻ってくるの?』と尋ね続けていた」と幼少期を振り返る。

エヴァンス氏の父も薬害問題に巻き込まれて亡くなった。

10代前半になってエイズが父の死因だったと知った時、父が密かに同性愛者だったのではと疑ったこともあったという。

「まさかウイルスが混入した医薬品が原因でこんなことが起きるとは頭もよぎらなかった。活動を始めた時、私を狂っているかのように思う人々の気持ちが理解できた。よく考えてみれば、頭のおかしい話だ」

問題発覚から30年以上…政府が補償計画を提示

Factor8を含む被害者団体などの運動により、原因究明に動いたのは問題が発覚してから30年以上経った2017年7月。調査委員会が発足し、2回の中間報告書を経て、2024年5月に最終報告書がまとめられた。

報告書公表にあたって行われたラングスタッフ調査委員長の会見(5月20日)

報告書では、感染者やその家族への補償勧告のほか、政府とNHS(国民保険サービス)に文書の破棄、情報開示や説明責任の欠陥など過失があったこと、子供が研究対象として利用されていた事実などが指摘された。報告書の公表にあたり、ブライアン・ラングスタッフ調査委員長は、「これは決して事故ではない。人々が政府や医者に置いていた信頼が裏切られた」とコメントした。

議会で謝罪したスナク首相(5月20日)

最終報告書が公表された同日には、イギリスのスナク首相が「国家にとって恥ずべき日だ」と議会の冒頭で謝罪。政府は翌日、被害者救済の補償金について最終的な支払いを年内に開始するとし、一人当たり270万ポンド(約5.4億円)になる場合もある補償計画を提示した。現地メディアによると、総額は100億ポンド(約2兆円)規模に上るという。

しかし、その翌日にはスナク首相が総選挙を行うことを発表。補償計画はそのまま遂行されるよう、法律が議会で急いで整えられたものの、補償内容の不確実性は残る。

最終報告書公表の日、国会議事堂前には被害者団体のメンバーが集まった(5月20日)

インタビューの最後、エヴァンス氏は亡くなった父への思いを語った。

「私が娘に自分の人生でやりたいことをやってほしいと思うように、もしかしたら父も私が前に進むことを望んでいたかもしれない。でも私はこんな不公平な現実を見過ごすことはできなかった。それに自分で決めてやってきたことだから、もし今父がこれを聞いてくれているならば、誇りに思ってくれることを願っている」

日本でも同様に発生した薬害事件だが、日本では1996年に厚労省や製薬会社が責任を認めて和解が成立している一方、イギリスでは最終的な補償が始まってすらいない。国民を広く守るために国営化されているはずの国民保健サービス、問題が起きたとき誠実で迅速な対応ができない側面が浮き彫りになる事件となった。
(FNNロンドン支局 長谷部千佳)

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