35年前の1989年6月4日に起きた天安門事件では、民主化を求めて北京の天安門広場やその周辺に集まっていた学生や市民に対して軍が発砲するなどして鎮圧し、中国政府の発表では319人が死亡したとされていますが、犠牲者の数ははるかに多いという指摘もあります。

事件の遺族でつくるグループ「天安門の母」は、高齢化が進む中、ことしも先月、114人の連名で、中国政府に対し、犠牲者の名前と人数の公表、犠牲者と遺族への賠償、それに事件の法的な責任の追及を求める声明をホームページ上に公開しました。

しかし中国国内では事件を公に語ることはタブー視されていて、この声明も閲覧が制限され、一般の国民が目にすることはありません。

また中国政府は、当時の学生らの動きは「動乱」だと結論づけて、対応は正しかったとする立場を崩しておらず、事件の真相究明を求める声そのものに神経をとがらせています。

遺族のグループによりますと、事件から35年となることし、中心メンバーの自宅で追悼集会を開く予定でしたが、当局による監視が厳しく、開催を断念せざるをえなかったということです。

習近平指導部のもとで当局による統制は一段と厳しくなっていて、遺族らの声は徹底的に抑え込まれています。

遺族のグループ 「YouTube」に声明も投稿

天安門事件から35年となるのを前に、事件の遺族でつくるグループ「天安門の母」は、中国当局の統制が及ばないとされる動画投稿サイト「YouTube」に動画による声明も投稿しました。

10分余りの動画には、事件で犠牲になったとする83人の遺影がうつされていて、女性の声で声明が読み上げられています。

この中では、「35年前の6月4日を忘れることはできない」としたうえで、事件当時について「銃弾で倒れた若い人たちを、市民は助けようとしたが軍人らはそれを許さないどころか、けが人に対してさらに銃剣を突き立てた」などと主張しています。

そのうえで「35年たった今も、政府は沈黙を続け、事実に反する言い逃れを繰り返しているのは到底受け入れられない」として遺族には当時の軍の対応など真相を知る権利があると訴えています。

さらに、「事件が起きて以来、政府は遺族の正当な要求を無視し、あらゆる手段を使って遺族の日常生活に絶えず干渉し続けてきた」として、政府は、事件の真相究明を求める遺族らを抑え込んできたと非難しています。

中国外務省「中国政府は明確な結論出している」

天安門事件からことしで35年となるのを前に、中国外務省の毛寧報道官は3日の記者会見で「1980年代末に起きたあの政治的な騒ぎについて、中国政府はとっくに明確な結論を出している」と述べ、事件の遺族らが求める真相の究明は必要ないというこれまでの立場を重ねて示しました。

香港でも犠牲者追悼難しく

天安門事件の犠牲者を追悼することは、中国本土だけでなく、香港でもますます難しくなっています。

中国本土で事件について公に語ることがタブー視される一方、香港では「一国二制度」のもと言論や集会の自由が認められ、およそ30年にわたり、犠牲者を追悼する集会が開かれてきました。

この集会は毎年6月4日の夜に開かれ、多い時には18万人が参加し、ろうそくに火をともして犠牲者を悼むとともに、中国政府に事件の真相究明を求めてきました。

しかし、4年前、反政府的な動きを取り締まる香港国家安全維持法が施行され、追悼集会を主催してきた市民団体の幹部らが相次いで逮捕・起訴されるなどしたため、集会は2019年を最後に開かれなくなりました。

さらに香港では、ことし3月、香港国家安全維持法を補完する「国家安全条例」も施行され、社会の統制が一段と強まっていて、3日までにSNSに天安門事件に関係する投稿をした8人が「中国政府などへの憎悪をあおった」として逮捕されました。

こうした状況について、ほぼ毎年、香港での追悼集会に参加してきたという、民主派の元区議会議員、朱江※イさん(47)は「香港で追悼するのが難しくなっても、私には、香港でまだ多くの人が事件を忘れていないと伝える責任がある」と話し、ことしも自分なりのやり方で犠牲者を追悼したいとしています。

※イ=王へんに韋

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