米大統領選を控えた集会で共和党のトランプ氏が銃撃された事件を巡り、SNSが荒れている。「民主党のバイデン陣営が扇動したせい」と非難が湧き上がったかと思えば、「銃撃事件はトランプ陣営の演出」と応酬し、それに絡めた画像も投稿されている。混乱に拍車をかけかねないのが陰謀論や偽情報。日本でも危惧されるこうした問題にどう対処すべきか。(山田雄之、西田直晃)

◆「バイデン黒幕説」を主張する保守強硬派議員

 「独裁主義的なトランプは何としてでも阻まなければならないというのがバイデン陣営の前提。そのレトリックが事件を招いた」

今年2月、米サウスカロライナ州の集会の会場でトランプ氏をアピールする支持者

 共和党の副大統領候補、バンス上院議員が銃撃後にX(旧ツイッター)でそう投稿すれば、コリンズ下院議員は「バイデンが指示を出した」とまで主張した。  思い返すのが安倍晋三元首相の銃撃事件。「批判したメディアや野党政治家らが安倍氏への憎悪を広め、事件を誘発した」との投稿が飛び交った。  今回目立つのが、保守強硬派議員らの書き込みだ。  桜美林大の平和博教授(メディア論)は「反転攻勢の構えのバイデン氏が事件前、支援者らとの非公開の電話会議で『トランプ氏を標的にすべき時がきた』と発言したとの報道などを、共和党側が選挙戦に取り込んだ面もあるのではないか」とみる。

◆かたや反トランプ氏側は「演出説」

 かたやトランプ氏側への批判もXにはあふれる。

X(旧ツイッター)アプリのアイコン

 際立つのが、ある写真に絡めた投稿。星条旗を後ろに大統領警護隊(シークレットサービス)の隊員に囲まれながら、観衆に向けて拳を突き上げたトランプ氏を収めた一枚だ。  「全ては演出だった。本物のシークレットサービスは彼を立ち上がらせない」  「完全に演出。撃たれたらこんな行動はしない。共和党の堕落にはうんざり」

◆加工された画像が次から次に

 こうした投稿には、ハッシュタグ(検索目印)として「#staged(仕込み)」が付けられる。  ロイター通信やウォールストリート・ジャーナルなどは「陰謀論」が出回ると報道。事件後にトランプ氏を囲む大統領警護隊の隊員らがほほ笑む画像が「演出」の証拠とされたが、加工された画像と指摘した。  拡散された画像の中には、血まみれになったトランプ氏のシャツの襟に破裂した小袋が挟まれるように見えるものも。「それはケチャップ」「いつも詐欺とペテンだ」とも記された。フランス通信(AFP)は独自に検証し、「加工写真が『演出』の主張をあおった」と伝えた。

◆容疑者が射殺され、動機が分からないことが一因

 陰謀論や偽情報を思わせる投稿の数々。広まる背景はどこにあるのか。  平氏は銃撃事件の容疑者が射殺され、動機などの解明が進まないことを一因に挙げる。「非常に高い注目度に対して、情報が出回らなければ『情報空間の空白』が生じる。そこに入り込むのが陰謀論や偽情報で、大統領選のヤマ場というタイミングも急速な拡散を後押しした」

イーロン・マスク氏のX(旧ツイッター)

 明治大の海野素央教授(異文化コミュニケーション論)は「愉快犯も一定数はある」としつつ「大統領選で勝利する目的で、バイデン、トランプ両陣営の支援者たちがどちらの陰謀論が強いのかをネット上で戦わせている」と推察する。  陰謀論を信奉する面々としてはトランプ氏を支える陰謀論集団「Q(キュー)アノン」が知られる。海野氏は「バンス議員の投稿を契機に『バイデン氏が暗殺を企てた』と言い換え、復讐(ふくしゅう)へと向かわせる主張を唱える可能性は大いにある」と懸念を語る。

◆信じた人たちの暴走が4年前に起きている

 陰謀論や偽情報は、信じ込む人々が暴走する恐れをはらんでいる。  4年前の前回大統領選では、トランプ氏が郵便投票を「不正」と決めつけ、支持者に連邦議会に抗議するよう呼びかけた。支持者が連邦議会に殺到し、上院本会議場を一時占拠し、当局に撃たれて死者が出る事態に至った。  上智大の前嶋和弘教授(米国政治)は「保守派とリベラル派の相互不信は高まっており、さまざまな世論調査で『支持政党が敗れた場合、暴力を容認する』との回答が約1割ある。今回の選挙後も暴動には注意が必要だ」と説く。  一方で「分断をあおれば政治家の支持が高まるので、政治議論は後回しにされている状況だ」とも語る。

◆日本でも安倍元首相の事件時に怪情報が広まった

 陰謀論や偽情報の拡散は海の向こうに限った話ではない。日本でも起きている。米国の陰謀論者が好む「ディープステート(闇の政府)」に触れる書き込みがあるほか、生成AIを活用した岸田文雄首相の偽動画も投稿されている。

安倍元首相が銃撃された現場=2022年7月8日、奈良市で、本社ヘリ「まなづる」から

SNSに詳しい国際大の山口真一准教授(ネットメディア論)は「安倍氏の銃撃事件後もスナイパーが存在するなどの情報が広がった」と語った上で「米大統領選のような社会全体が注目する話では、事件を利用した政治的主張の拡散を狙う人もいる」と解説する。  「SNSが普及し、偽情報が広がるスピードと規模は段違いになった。最近は、生成AIを用いた偽動画が混乱を引き起こすなど、技術革新が被害を増幅させてきた」

◆フェイクニュースは取り締まる必要があるが…

 山口氏は「社会的影響の大きいフェイクニュースは取り締まる必要がある」としつつ、政府をはじめとした公的機関が主導する「官製ファクトチェック」については、潜むリスクに警鐘を鳴らす。  「政治的な情報はフェイクかどうかは曖昧。受け手によって異なるケースもある」と語り、「情報の選定、真偽の判断の過程で、政府に批判的な見解を持つジャーナリストや野党政治家らが標的にされるなど、時の権力者が悪用する恐れがある。法規制は最小限にするべきだ」と続ける。  偽情報対策をSNSの運営事業者に促す案もある。山口氏は「『場の提供者』としての責任がある。投稿が他者の画面に表示される際、ファクトチェック済みの情報の優先度を上げるなど、現行機能をさらに改善する必要がある」と語る。

◆SNS運営事業者の対策には限界がある

 ただ、ITジャーナリストの井上トシユキ氏は「プラットフォーマー(SNSの運営事業者)は高精度AIの導入、目視による確認などを求められ、プログラム開発や人員増のコストが経営を圧迫する。無料で気軽にSNSを利用できる時代が終わってしまうかもしれない」と見通す。  一方で情報の出し手側、特に公人の姿勢に言及する。本来ならば、彼らは偽情報の流布を「率先して阻止する立場」だが、必ずしもそうはなっておらず、「野放しになっているのも問題だ」と強調する。  その上で、情報の出し手にモラルの向上を求めるとともに「有権者でもあるユーザーは、政治的な投稿を安易にうのみにせず、よく考えて受け止めるべきだ。そのための教育にも力を注ぐ必要がある」と語る。

◆従来型のメディアに求められる役割とは

 日本では今、総務省が偽情報に対処するルールづくりを進めている。課題山積の中、従来型の報道機関に対する注文も聞こえる。  ITジャーナリストの星暁雄氏は「偽情報が拡散したとしても、IT企業のもうけに直接的な影響はなく、新たな規制なしに現状に歯止めをかけるのは難しい」と指摘した上で、「事実を伝えることを使命としてきた従来型のメディアの役割は大きい」と訴える。

◆デスクメモ

 難題が山積する偽情報対策だが、明らかなこともある。偽情報の投稿を端緒に憎悪を募らせ、暴徒化する危惧だ。情報の出し手は冷静になれないか。情報の受け手も同様に冷静でいられないか。理不尽な悲劇はもう生んではならない。拳を上げる写真に陶酔してばかりいられない。(榊) 

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