コストさんは第2次世界大戦後、初めてのオリンピックとなった1948年ロンドン大会の自転車競技にフランス代表として出場し、金メダルを獲得しました。

戦争中は武器製造を学ぶため、フランス南部にある海軍学校に動員されたほか、この大会に敗戦国の日本やドイツは参加せず、コストさんたちも軍事施設を再利用した選手村に宿泊するなど、大会は戦争の記憶が色濃く残る中、開かれたと言います。

コストさんは当時について「開催地のロンドンは戦争中に多くの爆撃を受け、私たち選手もまだ心の傷が残っていた。それでも大会期間中は戦争の恐ろしさを忘れることができたし、表彰台に上がった瞬間はすばらしかった」と振り返ります。

そんなコストさんの元に去年の終わりごろ大会組織委員会から聖火ランナーの打診があり、コストさんは「世界から戦争がなくなり、すべての人に平和が訪れてほしい」という思いを込めて、足が悪いのを押して参加することを決めました。

そして24日、みずからが住むパリ近郊の町コロンブで、コストさんは家族が見守る中、両手でトーチを握りしめ、車いすを長男に押してもらいながら聖火をおよそ200メートル運んで次のランナーにつなぐと、沿道の人たちから大きな拍手が送られました。

大役を果たしたコストさんは「とてもうれしく、名誉なことだった。オリンピックが平和をもたらすことが、心の底からの願いです」と話していました。

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