ノーベル文学賞候補ともいわれるイタリアの作家ダーチャ・マライーニさん(87)。1941年12月8日の日米開戦当日に起きた特高警察による冤罪(えんざい)スパイ事件「宮沢・レーン事件」の当事者と交流した、たぶん最後の生存者として、事件の「記憶」を未来に残そうと札幌に戻った。83年ぶりだ。

 私はどうしてもダーチャさんの言葉を記事にしたかった。16年前に取材した「大逆事件」(1910年)とダブって見えたからだ。当時の赴任地、和歌山県新宮市では、医師の大石誠之助(1867~1911)らが「明治天皇暗殺」の「謀議」に加わったなどとして連座し、大石は絞首刑になった。貧しい人々から治療費を取らなかった「毒取ル(ドクトル)先生」として地元で尊敬を集めつつ、日露戦争で非戦を唱えたり、社会主義者らと交流があったりしたことが危険視され弾圧された。「謀議」の現場とされる場所の一つ、熊野川はあまりに見晴らしが良く、しかも当時はいかだが行き交いする衆人環視の場所だった。どう考えても、天下を揺るがす「謀議」には向かない場所。戦後の研究で、大石らは冤罪事件の犠牲者と認められた。

 地元出身の芥川賞作家中上健次(1946~92)は大逆事件に思い入れがあり、「私の中の日本人」に大石を選んだ。地元の思いは「志を継ぐ」という石碑に示され、2018年には、大石に名誉市民の称号が贈られた。

 ダーチャさんは「宮沢・レーン事件」の「記憶」を未来に継ぐ記念碑の必要性を訴える。札幌の我々は彼女の「志」に向かい合えるのだろうか。(松尾一郎)

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