米大統領選で競う共和党のトランプ前大統領(左)と民主党のハリス副大統領(右)

秋の米大統領選に向け民主党候補のハリス副大統領が想定外の好スタートを切った。バイデン大統領が劣勢だった激戦州で支持を盛り返し、政治献金も急増する。

背景の一つが、ネット上で話題をさらう画像などのコンテンツ、いわゆる「ミーム」だ。勝ち目のないバイデン氏への絶望の反動もあり、一気に拡散した。

やたら大笑いするハリス氏は、「奇っ怪」と映っていた。だが共和党候補のトランプ前大統領がこれをちゃかし、攻撃用の動画集まで作ると若者らに人気となった。関連コンテンツも多く作られ、親しみと連帯感を生んだ。

ココナツの木に緑色の写真……

調子が狂ったのはトランプ氏だ。怒りを含んだ過激な批判が敵を利する状況に、遊説先でいら立ちを吐露した。「討論会がなければ、まだバイデンがいた。なぜ私は彼を打ち負かしたのか」

2016年の選挙ではトランプ氏がミームの恩恵を受けた。クリントン候補がトランプ支持者を「悲惨な人々」と呼ぶと、漫画に登場する惨めなカエルを極右の象徴にしようと支持者が結束し、批判が裏目に出た。今回はトランプ氏がその轍(てつ)を踏んだ。

笑いや踊りの動画はまだしも、ハリス氏のミームは総じて不可解だ。ココナツの木、緑色の写真、「brat」という言葉――。

概要は表に記すが、大事なのは超高度にネットワーク化した現代社会では、ある事象が何かの拍子に爆発的に広がり、情報空間を席巻し、特定の意味をもち、人々の認識すら塗り替えうる点だ。

ハリス氏を「カマラはbratね」と呼んだのは、英女性歌手チャーリーxcxだ。本来は生意気な子供を指すが、自信と弱さが混在した少し不安定な生きざまを指す若者世代の俗語でもある。

そう呼ばれたハリス氏は、不器用な言動すら「格好よく」映り、若者の共感を集めた。ハリス氏という記号が一人歩きし、大きな影響力をもったのだ。

これに選挙本部も便乗しX(旧ツイッター)のアカウントを緑色にした。先の歌手が「brat」の名で出した最新アルバムの色にあやかった。ミームが支持者を転向させるのは難しいにせよ、無党派層やハリス氏に好感を抱く層の投票を促すとの期待は強い。

アテンション・エコノミーの申し子

ハリス氏のミーム人気に一役買う歌手のCharli XCX氏=ロイター

落とし穴もある。まずミームは短命だ。7月の狙撃後、ネット上にあふれた拳を突き上げるトランプ氏の肖像は、すぐにハリス氏の笑いと踊りにかき消された。

第二は世代間の溝だ。中高齢者の多くはSNS上の騒ぎより年金や医療の行方を心配する。「縁遠い候補」と映れば致命的だ。

第三に本丸の政策論がかすむ。

ハリス氏は不法移民やパレスチナ問題などの難題を背負う。ミームが自らに注目をひき付けつつ、微妙な問題からは関心をそらす煙幕に使われれば、政策を掲げ民意を問う選挙の基本に反する。

しかも急きょ登板したハリス氏は、政策や資質が厳しく検証される通常の選考過程も経ていない。報道陣を遠ざけ、直近発表した経済政策も「戦略的あいまいさ」を皮肉られた。これではある意味、トランプ氏の手口に近い。

同氏は注目が大きな価値をもつ「アテンション・エコノミー」の申し子だ。自らに注目を集め、敵意をあおって繰り返せば根拠ない主張も力をもつと信じている。

その怒りとデマをハリス氏が笑いと沈黙でかわしても選挙戦が真剣な政策論争を欠く状況は変わらない。この先、討論会も予定されるが、それだけで多くの問題を語り尽くせるはずもない。

ミーム的なものは、どの時代もあった。かつては大統領選前に候補者の名を記したちょうちんやワッペン、帽子がはやり支持者の連帯感を高めた。テレビが普及し始めた1952年の大統領選では"I Like Ike"と韻を踏んだ軽快な広告音楽がアイゼンハワー大統領の当選を助けた。堅物とみられたブッシュ(父、第41代)大統領はブロッコリー嫌いで国民の話題をさらい親近感を高めた。

だが以前は息抜き程度だった軽妙な話題や流行が、今や本丸の政策論争を押しのけつつある。

健全な議論に高められるか

ノーベル経済学賞をとった社会心理学者ダニエル・カーネマン氏は人間は瞬時の直感的な判断と、熟考による理論的な判断の2経路を使い分けていると述べた。

本来、複雑な政治の問題は熟考の経路を要する。だがミームが次々と去来する今日は、直感に基づく判断の連続になっている。

この状況は今後も加速しよう。各種コンテンツが移動時間まで侵食してしのぎを削るなか、紙の活字媒体からニュースを得る人々の割合は10年前の47%から16%に低下した。そして、じっくり活字に親しんだ世代は、遠からずスマホ世代に代替される。

進化した人工知能(AI)は、より洗練されたコンテンツを効率よく大量に生成し、狙った相手に届ける。トランプ氏の扇動的な短文などさび付いた過去の遺物と化す高度でパンチの利いた視聴覚情報が、巧みにミームを生み出し人々の判断を左右するだろう。

政治の分断を助長する毒だと嘆くのは容易だが、ミームは少なくとも政治参加への熱気は高める。極端な勢力を利する政治的無関心への薬にはなりうる。これをもう一工夫して、健全な議論と政策決定への奇貨とできないか。

テクノロジーと社会心理の相互作用がもたらす不可逆な政治の変質に、どう立ち向かうかも今回の大統領選は問うている。

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