<連載 ミャンマーの声>
 3年前に軍事クーデターが起きたミャンマーを離れ、タイで3人の幼子と避難生活を送っていたピョーピョーさん(33)が、夫のいる日本に渡り、待ち望んでいた家族そろっての生活を始めた。内戦が激化する母国の情勢を気にかけながらも「一緒に住めて楽しい」と喜びをにじませた。(北川成史)

◆寄せられた支援金「とても助かった」

 ピョーピョーさんらの話は、2023年9月23日に取り上げた。記事に登場したピョーピョーさんらのために、読者から支援金が寄せられた。

タイ北西部で2023年12月、次男を抱きながら「Arigato!」と書いた紙を掲げ、支援に感謝するピョーピョーさん(本人提供)=タイ北西部で

 海外送金で5万円相当を受け取ったピョーピョーさんは「当時、手元に現金が全くなく、とても助かった」と改めて感謝した。  夫はかつてミャンマーで民主化運動に加わり、日本に亡命して1998年に難民認定されたゴンアウンさん(63)。2011年にミャンマーがいったん民政移管した後に2人は知り合い、同国で結婚した。

◆「警察に捕まるかも」不安だったタイでの暮らし

 だが、21年2月のクーデター後の混乱で、一家は他国へ避難。ゴンアウンさんは日本に戻った。パスポートの期限が切れていたピョーピョーさんは子らを連れ、密入国の形で、タイ北西部にいる親族のもとに身を寄せた。  3人の育児を一手に担う生活はストレスが大きかった。「不法滞在で警察に捕まるかもしれず、怖かった。外出できず、子どもの教育も心配だった」とピョーピョーさんは振り返る。

夫のゴンアウンさん(右)や子どもたちと、日本で生活を始めたピョーピョーさん(左から2人目)=東京都内で

 母国の親族や難民問題に詳しい日本の弁護士の力を借りながら、正規のパスポートとビザを手に入れ、今年2月に東京にたどり着いた。夫と長女(5)、長男(2)、次男(1)との生活が始まった。近く、難民認定申請をするという。  ピョーピョーさんは「日本では外の公園で子どもを遊ばせられる」とほおを緩ませる。1人暮らしだったゴンアウンさんは記者に動画を見せ、かみしめるように言う。「夜、仕事から戻ってアパートのドアを開けると、ほら、子どもたちが駆け寄って来るんですよ」  ピョーピョーさんらは、タイで避難生活を続ける同胞らのためにも、母国に平和が訪れるように願った。 

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