ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャが迫害を受け、隣国バングラデシュへの大規模な難民が発生してから7年が過ぎた。ミャンマーでは3年半前の軍事クーデター後、内戦が激化。ロヒンギャが「人間の盾」に利用されているという証言が出ている。8月に起きたバングラデシュの政変の影響を含め、ロヒンギャ問題はどこへ向かうのか。(北川成史)
ビニールシートなどで作られた小屋が並ぶ難民キャンプ。子どもたちの姿も多い=4月、バングラデシュ南東部コックスバザール県で(新畑克也氏提供)
ロヒンギャ 仏教徒が9割とされるミャンマーでラカイン州を中心に暮らすベンガル系のイスラム教徒。多くが不法移民扱いされ、無国籍状態に。2017年8月25日、同州でロヒンギャの武装勢力と国軍など治安部隊が衝突。治安部隊や一部のラカイン人から殺人や性暴力を含む迫害を受けたロヒンギャらがバングラデシュに逃れ、100万人規模の難民となっている。一方でラカイン州には現在も約60万人が残っているとみられる。
◆武器も渡さず最前線送り
ミャンマー西部ラカイン州で2017年に起きた迫害のため、バングラデシュ南東部のコックスバザール県に大勢のロヒンギャが逃げ込み、難民キャンプなどで暮らす。京都大の杉江あい講師(バングラデシュ地域研究)は8月中旬、同県でロヒンギャへの聞き取り調査を実施した。 杉江氏によると、聞き取り対象の1人、20代のイスハーク氏はラカイン州で暮らしていたが、8月5日、妻や3人の子らと国境を越えた。今は県内の難民キャンプにいる親族のもとに身を寄せている。 ラカイン州では昨年11月以降、ミャンマー国軍と自治権拡大を目指す仏教徒少数民族ラカイン人の武装勢力「アラカン軍(AA)」との戦闘が激化している。 「国軍もAAも戦力としてロヒンギャを取り合い、盾にしている」とイスハーク氏は訴える。「国軍は村に来て1家族から1人ずつ徴兵した。『出さないなら60万チャット(約4万円)を払え』と迫った。国軍の動きを知ったAAは村をドローンで爆撃したほか、12歳以上のロヒンギャの男性を徴兵し、武器も渡さず、最前線に送っている」◆空爆受け「遺体の上を走った」
イスハーク氏は一家でバングラデシュへの避難を決意した。ただ両親は同行できなかった。国境のナフ川を渡る船の代金は1人300万チャット(約20万円)で、金の余裕がなかった。国境を流れるナフ川。対岸はミャンマーのラカイン州だ=8月中旬、バングラデシュ南東部コックスバザール県で(杉江氏提供)
国境を渡る時も修羅場だった。「1000人ほどのロヒンギャが集まるところにAAがドローンで空爆した。遺体の上を走って逃げた。亡くなった女性のおなかから胎児が出ているのも見た」 別の聞き取り対象で60代のムハンマド氏は8月5日、妻や子ども、孫ら計17人で逃れてきた。「クーデター後、国軍が村に来て暴力をふるい、略奪した。国軍の空爆で家を破壊された」◆国境の川で沈没、娘も孫も…
避難の途中、親族7人を失った。ナフ川を渡る際、長女とその娘は船が沈没。次女一家5人はAAのドローンに船を攻撃された。 越境後、難民キャンプに入れなかった。バングラデシュ政府が年初ごろから受け入れを制限し、先に来た親族もいなかったためだ。見かねた地元女性が持つ住宅にかくまわれている。 調査では「船で国境を越えたロヒンギャが強盗に襲われるのを見た」という証言も。国軍がロヒンギャの一部と組み、キャンプで徴兵していると報じられる。◆「どこにも帰属できぬ苦しさ」
杉江氏は懸念を深める。「ミャンマーに帰れず、バングラデシュ社会にも統合されず、キャンプにいても安心できない。どこにも帰属できないロヒンギャの苦しさをすごく感じる」ロヒンギャ難民をかくまうのは法律違反だと住民に警告する張り紙。6月末ごろ掲示されたという=8月中旬、バングラデシュ南東部コックスバザール県で(杉江氏提供)
ロヒンギャの古い祖先は、15〜18世紀の「アラカン王国」の時代にはラカイン州にいたとみられる。ただ、第二次世界大戦後、バングラデシュ独立を巡る混乱で流入した人もいる経緯から「不法移民」という目を向けられ、同州で多数派のラカイン人や治安部隊との軋轢(あつれき)が絶えない。◆「声明は出るのに行動がない」
7年の節目に当たり、国連人権高等弁務官事務所は8月23日、「AAと国軍はロヒンギャに対し、深刻な人権侵害と虐待を犯している」と非難した。 300人超のロヒンギャが暮らし、日本最大のロヒンギャコミュニティーがある群馬県館林市では25日、公開セミナーが開かれた。 幼いころにミャンマーを離れたロヒンギャの女性弁護士、ラジア・スルタナ氏がバングラデシュからオンラインで登壇。「8月4日には(AAのドローン攻撃で)ミャンマーにいた私のおじも殺された」と目に涙をためて話した。ロヒンギャの苦境を涙ながらに訴えるアウンティン氏=8月25日、群馬県館林市で
在日ビルマロヒンギャ協会顧問のアウンティン氏は「17年に続き、第2のジェノサイド(民族大量虐殺)が始まっている」と危惧。「私たちの命は世界ですごく安くなっている。国連などは声明を出すけれど、行動がない。ウクライナやガザの問題が一番優先されている」と声を詰まらせた。◆楽観できない「新政府での市民権」
上智大の根本敬名誉教授(ミャンマー近現代史)はミャンマーでクーデター後、民主派が樹立した「挙国一致政府(NUG)」が、ロヒンギャの市民権を認めて新たな国をつくると宣言した点に言及しつつ「こうした変化が定着するかは不明だ」と慎重さを示した。 ラカイン州の近況が不安要素として膨らんでいる。AAは国軍に対抗する立場ではNUGと一致するが、反ロヒンギャ感情が強い。「AAは現在、国軍に対して攻勢で、州の実権を握る可能性がある。しかし、AAがロヒンギャへの市民権付与をのまない場合、軍政が倒れてNUG政権ができても、ロヒンギャ難民が安全に帰還できなくなる」◆難民キャンプでブローカー暗躍
恵泉女学園大の大橋正明名誉教授(国際開発学)は「バングラデシュの難民キャンプで人身売買のブローカーが暗躍している」と警鐘を鳴らした。 同国政府はミャンマーへの帰還を前提にロヒンギャ難民に法的地位を与えず、就労や高等教育を認めてこなかった。この結果、難民の苦境に目を付けた人身売買が横行。実効的な取り締まりもないという。バングラデシュ南東部コックスバザール県で8月中旬、聞き取りに応じたイスハーク氏(左端)ら=杉江氏提供
大橋氏は「ロヒンギャへの関心を高めないと、苦しむ人がますます増える」と難民キャンプへの国際支援の必要性を強調。「日本を含む各国は、問題をバングラデシュに押しつけず、第三国定住などの形でロヒンギャ難民を積極的に受け入れるべきだ」と促す。◆「忘れていない」というメッセージを
バングラデシュでは8月、反政府デモの末にハシナ首相が辞任し、ノーベル平和賞受賞者で経済学者のムハマド・ユヌス氏が首班の暫定政権が成立した。ロヒンギャ政策は変わるのか。 立教大の日下部尚徳准教授(南アジア地域研究)は「こちら特報部」の取材に「定住させず、帰還させる基本方針は変わらない」と予想する。「滞在の長期化で『治安や環境に悪影響が出ている』『ロヒンギャばかり援助を受けている』と国民感情が悪化している。成立したての暫定政権は国民の支持を失うと困るので帰還の前提は崩せない」 ただ、混乱するミャンマーへの早期帰還は難しい。日下部氏は「難民が人として生きるための教育と就労の容認は待ったなしだ」とバングラデシュ政府に求める。国際社会も教育技術の供与や職業訓練、投資による雇用の創出などを通じ、後押しすべきだとした。 「100万人のロヒンギャが見放されたと思って暮らしている。『国際社会は忘れていない』というメッセージを具体的な形で示す必要がある」と強調する。◆デスクメモ
日本は政局真っ盛り。裏金対応などの論戦は重要だが、渦中の人びとに問いたいのは外交の姿勢も。飛び交いがちなのは自国防衛を名目にした勇ましい言葉。果たしてそれでいいか。国外であろうと命の重さは変わらないはず。広い視野で思いをはせられる政治家にこそ今後を託したい。(榊) 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。