北京日本人学校へ子どもたちが通う際、ランドセルを背負うのをやめさせた。同じ中国の広東省深圳市で9月、深圳日本人学校の男児(10)が登校中に刺殺された事件が理由だ。公の場で日本人の「目印」となるものを身に着けさせないことで、リスクを極力排除する家庭内の判断だった。(中国総局・河北彬光、写真も)

◆「日本語をしゃべらないで」と小声で

 子どもたちはスクールバス通学。乗降時を除き、ほとんどが学校と住まいの閉ざされた空間で過ごす。ランドセルをやめさせる必要まであるのか、とも考えた。それでもわずかな隙でさえ安心できないと思い直し、子どもたちに納得してもらった上でリュックサックに替えた。

事件翌日の9月19日、深圳日本人学校前に並んだ花束。多くの深圳市民らが手向けた

 街に出れば、時にはしゃぐ子どもたちに「大きい声で日本語をしゃべらないで」と小声で忠告している。事件後、学校からも注意喚起の文書を受け取った。  なぜ、ここまで神経質になるか。6月に江蘇省蘇州市で日本人学校のスクールバスを待っていた母子ら3人が刺された事件に続き、わずか3カ月でまた日本人学校を巡る事件が起きたことが一つ。加えて何よりも、二つの事件が「日本人を狙ったものか否か」がいまだ全く分からないからだ。  中国には12校の日本人学校があり、総勢3760人の児童生徒が通っている。保護者の一人は言う。「日本人を狙っていないのならば、むやみに張り詰める必要はないし、狙ったものならより注意しないといけない。何も分からないのが一番困るし、怖い」

◆中国政府の心ない発言の連続に疑問

 日本政府は再三、詳しい説明を求めているが、中国政府は容疑者の男(44)の動機を明かしていない。どうも中国政府が在留日本人の不安に思いが至っていないらしいことは、事件後の発言から読み取れる。  男児が亡くなった9月19日、外務省の林剣(りんけん)副報道局長は根拠を示さず事件を「個別の事案」とした上で「類似の事件はどの国でも起きうる」と言い放った。ほぼ同じ言葉は蘇州事件の翌日にも、毛寧(もうねい)副報道局長が述べている。23日の日中外相会談では王毅(おうき)外相が「政治問題化を避けるべきだ」と、むしろ日本側に注文を付けた。  心ない。いずれの言葉も、子を亡くした遺族の痛みや在留日本人の不安に少しでも思いを巡らせれば、まず口にすることはない。そればかりか国内の安定を最優先させる内向きの論理に基づき、事件を早く沈静化させたいとの思惑さえも透ける。林剣氏は「日本を含む各国の人が中国に来ることを歓迎する」とも言ったが、この言葉が響く人はどれだけいるだろうか。

◆事件後には中国政府の対応を批判する人の姿も

 対照的に、深圳日本人学校には心を痛めた大勢の深圳市民が訪れ、花を手向ける光景があった。リスクを顧みず、情報統制を敷く中国政府の対応を記者の前で公然と批判する人がいたことも忘れてはならない。

事件翌日の9月19日、深圳日本人学校前に並んだ花束

 身の回りの中国人から嫌な言動を受けたことはないと強調しておきたいが、交流サイト(SNS)上には日本を敵視する投稿が絶えないのも事実だ。ごく一部の排外的な思想の持ち主が、実社会のどこかに潜んでいるかもしれない。目に見えない怖さが、10万人を超える中国の日本人社会を覆っている。 

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