◆「女性初」を前面に出さなかったハリス氏
「トランプ氏が勝つことはあり得ると思っていたが、大変がっかりした」カマラ・ハリス副大統領=2024年8月
米国で約30年暮らした立命館大の山口智美教授(文化人類学)が嘆く。北西部のモンタナ州から今年帰国した山口氏は「モンタナ州でも州知事が共和党に交代するなど勢力を伸ばし、ここ数年で右傾化も肌で感じていた」という。 2016年の大統領選でトランプ氏に敗れた民主党のヒラリー・クリントン氏は女性の社会進出を阻む壁を「ガラスの天井」と例えて「私が打ち破る」と繰り返し米国初の女性大統領を目指した。だがハリス氏は今回、選挙戦で「女性初」を前面に出さなかった。 山口氏は「クリントン氏が敗れたことが大きかったと思う」と推測した。◆「ハリス氏はDEIだから大統領候補者になれた」と攻撃
実際、トランプ陣営はハリス氏が「女性」であることを執拗(しつよう)に攻撃して支持を集めてきた。ヒラリー・クリントン元国務長官=2024年8月
副大統領に就任する共和党のバンス上院議員は2021年のインタビューで、ハリス氏のような「子どものいない猫好きの女性たち」に米国が運営されている、と主張していた。日本でも2007年、「女性は子どもを産む機械」と現職の厚生労働相が発言し批判されたが、山口氏は「トランプ氏やバンス氏はハリス氏が子どもを産んでない女性であることを攻撃した。彼らはマイノリティーを攻撃し、そうすることで支持を集めてきた」と指摘する。 米国社会では「DEI(多様性、公平性、包摂性)」が重視されるようになっている。選挙戦ではこれも逆手に取り、「女性」を攻撃材料にした。「ハリス氏はDEIだから大統領候補者になれた、本当は能力がないから、そうじゃなければ大統領候補になれなかった、これは白人への逆差別だ、という論法。ハリス氏が選挙戦で女性を打ち出すと、余計に批判を招くとの判断もあったかもしれない」◆ハリス氏の狙う支持層を次々と切り崩したトランプ陣営
明治大の海野素央教授(異文化コミュニケーション論)も「ハリス氏は女性であるだけなく、黒人、アジア系であり、二重、三重の壁があった」と分析した。特に黒人の男性に黒人女性への蔑視が根強く、票が集まらなかったとみられるという。 トランプ氏はこうした差別感情につけこむ主張を展開したという。「ハリス氏が勝つために必要な票だったが、トランプ氏は自身が黒人男性の味方であるように主張して、切り崩した。同様にハリス氏が得票を見込んでいたヒスパニック系に対しても『不法移民のヒスパニック系が仕事を奪っている』などと人種内の対立を煽(あお)り、票を取り込んだ」と指摘した。ドナルド・トランプ次期米大統領=2024年7月
ジャーナリストの神保哲生氏は「物価高などで米国民によるバイデン政権への批判は強く、民主党にはそもそも厳しい逆風だった」と前置きしながら、「ハリス氏が『初の女性大統領を目指す』と選挙中に言わなかったのは、『ガラスの天井』が高くて固い裏返しだ。『女性』を言うことで失うものも多いと判断したのだろう」と述べる。◆焦点の「人工妊娠中絶」は同時に住民投票にかけられてしまい
大統領選に合わせて、人工妊娠中絶をめぐる住民投票が全10州で行われた影響も指摘されている。AP通信によると、保守的なモンタナ州でも中絶の権利が維持されるなど結果は維持が7州と優勢だったが、大統領選で中絶の権利保護を訴えたハリス氏の追い風にはならなかった。 山口氏は「共和党の支持者の中にも中絶の権利保護に賛成の人はいるが、結果的に中絶には賛成でもハリス氏には入れないという有権者が一定数いた」とみる。◆「男女が同じ数いる」のだから
米国社会は今回も「女性大統領」を拒む結果となったが、世界的には女性首脳は増え続けている。自由の女神とマンハッタン
駒沢大の大山礼子名誉教授(政治制度論)は「男女が同じ数いるのに女性のトップが一度も生まれない社会はそもそもおかしい」と指摘。その上で「女性の政治参加が増えれば、政策が変わり、意見が多様になって議論が活発化する。また国民の政治への信頼や関心が高まるだろう」と話した。 男女平等が進み政治分野でも女性活躍が目立つのが、北欧アイスランドだ。世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ(男女格差)報告」でも、同国は15年連続で1位。今年118位だった日本とは大きく差がある。 1975年に平等賃金を求めて女性の約9割が参加したとされる「女性のストライキ」が行われ、女性の政治参加の機運が高まる中で、80年にビグディス・フィンボガドティル大統領が誕生。選挙で選ばれた世界初の女性大統領だった。 女性の政治参加を支援する市川房枝記念会の久保公子・元理事長は、雑誌編集のためフィンボガドティル大統領が来日した際に取材したことがあるといい「大統領は『海外で男性ばかりの会議に出席した際には、女性の視点がどれだけ世界を変えられるかを強調している』と話していた」と振り返る。同国は父親と母親それぞれに出産育児休暇を与える法律や一定規模以上の企業の雇用主に男女同一賃金の基準を義務付ける法律を制定しており「女性を含めた多様な意見が施策にも生かされている」とみた。◆「女性も大統領選を戦うものだ」と思ったはずだ
ドイツ首相を長年務めたメルケル氏=2019年
近年もコロナ禍で女性首相たちの評価が高まった。当時、ドイツのメルケル首相やニュージーランドのジャシンダ・アーダン首相はロックダウン(都市封鎖)など厳格な感染対策を講じて感染拡大を食い止めたとされる。久保氏は「命への配慮など女性としての目の付け方が生きたのでは」と話す。 米国では女性蔑視発言もあったトランプ氏が再び大統領に返り咲く。久保氏は「女性や少数者への攻撃が強まるかと思うとこの先の4年間は恐ろしい」と懸念するが、一方でこう強調する。「ハリス氏を見て、若い女性や子どもたちは『女性も大統領選を戦うものだ』と思ったはずだ。将来は『私たちがもっと高みに』と目指してくれると期待したい。これまでも女性たちはそうやって未来を切り開いてきた」米ホワイトハウス
米国出身で神戸大のロニー・アレキサンダー名誉教授(平和学)もトランプ氏の勝利に「家父長制が新しい顔で出てきた」と嘆息する。「ウクライナやガザの戦争が拡大し、武力がものを言う時代に『マッチョな男性らしさ』のヘゲモニーが高まっている。女性たちも不安や恐怖から『守ってもらえる』と考えやすくなる」と分析する。 ただ、米国で女性が大統領になる日が遠のいたとは「思わない」。 「大統領は47代目になるが、女性候補は2回しか出ていない。『勝つかもしれない』ところまで迫ったのはわずかかもしれないが前進」ととらえる。「4年間のトランプ政権で女性やマイノリティーに対するひどい政策が打ち出されたとき、それを止めようとする行動が次につながるかもしれない」と期待した。◆デスクメモ
それぞれの違いを認め、尊重しあう社会や組織を目指す「DEI」の考え方は、差別を克服してきた米国の歴史から生まれた。少数派が安心して暮らせる社会は、誰にも居心地がいい。米議会でさえ男女同数にはほど遠い。女性政治家を「ずるい」となじる国にどんな未来があるのか。(洋)
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