<その先へ 憲法とともに①>
 ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢の不安定化を理由に、防衛費の増額や武器輸出のルール緩和がなし崩し的に進む。平和国家の在り方が揺らぐ中、言論の自由、平等、健康で文化的な生活など、憲法が保障する権利は守られているだろうか。来年で終戦80年を迎えるのを前に、さまざまな人の姿を通して、戦後日本の礎となった憲法を見つめ直す。

わが子とともに街頭に立ち、ガザ侵攻への反対を訴える疋田さん=神戸市中央区で

◆足を止める人は少なくても

 そぼ降る小雨。足を止める人は少ない。それでも、疋田香澄(ひきた・かすみ)さん(38)=神戸市東灘区=は何度も、何度も声を張り上げた。  「パレスチナへの暴力に反対します!」「日本にできることがあります!」  民間人犠牲者が増え続けるイスラエルのガザ侵攻。4月下旬、神戸市中央区のJR元町駅東口では、疋田さんの呼びかけで集まった15人がジェノサイド(民族大量虐殺)に抗議した。関西一円から駆け付けたのは、特定の政治団体に所属していない「生活感のある市民たち」(疋田さん)。休日のわずかな時間を活用し、家族や飼い犬と連れ立って参加する。フルタイムで働く疋田さんも同じ。2歳の一人娘を胸に抱く。

◆「ガザの壁はあと50センチほど高い」

 原点は、早稲田大卒業後の2014年、旅行先のドイツで出会った年下のパレスチナ人女性の言葉だ。  「分断」の象徴だったベルリンの壁沿いをともに歩いていると、「ガザの壁はあと50センチほど高い」と女性がつぶやいた。ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の記念碑にも同行した。別れ際に「日本でできることはあるか」と尋ねると、少し驚いた女性は「世界中の多くの人はパレスチナとパキスタンの違いさえ分からない。パレスチナの状況を伝えてほしい」と話したという。  昨年10月、ガザ侵攻が始まると、「約束を守らないといけなかった。いてもたってもいられなかった」。毎週日曜に街頭に立った。1人で始めたが、SNSでの呼びかけで、今では数十人に達する日もある。  ガザの死者数は3万4000人を上回った。パレスチナ保健当局の推計によれば、犠牲者の7割以上を女性と子どもが占める。「理解を超える虐殺が許されれば、私たちは『人を殺してはいけない』という根源的な倫理観すら失う。誰かが殺されてもいい世界は、私やあなたが殺されてもいい世界ということになる」。その思いが日増しに強くなる。

国会議員アンケート送付のため、作業に励む人=疋田さん提供

◆国会議員へのアンケート

 ドイツで約束した「日本でできること」を探った。友人やデモで出会った人たちと協力し、「ガザ『人道危機』国会議員アンケート」を実行。疋田さんは「自宅の冷蔵庫の買い替え費用」を転用し、仲間とともに返信用封筒と切手を添えた質問状を郵送した。ガザの人道危機をどう捉えるのか、恒久的停戦に向けた国会決議を行うべきか。こうした7項目への回答をウェブで閲覧できるようにした。  回答率は1割強。一部野党や日本パレスチナ友好議員連盟を除けば、人道危機への問題意識は物足りず、イスラエルの出展が決まった大阪・関西万博を推し進める「日本維新の会」の回答はゼロ。ある所属議員は「党として回答しない」と電話をかけてきた。  「市民が選んだ国会議員がどんな考えで、どんな行動を取るのか。可視化したかった。自ら議員に働きかけるのもありだと、多くの人に知ってほしかった」と狙いを語り、こう続けた。  「回答は今も受け付けている。結果は少なくとも、国政選挙の投票日までは示すつもりです。

パレスチナ問題への思いを語る疋田さん

◆沖縄へ、福島へ、足を運ぶ

 西日本の地方都市出身。19歳で上京し、働きながら通える早大の夜間学部に入学した。沖縄戦で強いられた集団自決に関心が湧き、現地に足を運んだ。  卒業直前に福島第1原発事故が発生し、ほぼ毎週のようにボランティアに通い詰めた。2018年まで、被災児童・生徒に外遊びの機会を提供する「保養キャンプ」に携わり、避難先での生活や子育ての相談に乗ってきた。成果や課題をまとめた書籍も刊行した。  沖縄の地上戦と福島の原発事故。「両方とも、弱者にしわ寄せが及んでいる。国家や首都圏といった大きな存在のために、小さな存在や個人が追い詰められてしまうのは、とてつもなく不平等だ」と強調する。

◆大国の見て見ぬふり

 パレスチナの歴史も同じように感じる。ナチスによるユダヤ人迫害と、その苦難を逃れた人々によるイスラエルの建国の過程では、70万人ものパレスチナ人が難民として追いやられた。大国が見て見ぬふりを続けてきたことで、今に至るまで小さな命が危機にさらされている。  「娘と同じくらいの年齢の子もいる。個人が人生そのものを奪われることには耐えられない。許してはいけないことだ」  「現場主義」は学生時代から変わらない。「『これが正しい』と自分なりに思ったなら、法律違反でもなければ、性格的にブレーキをかけられない」。4月中旬に神戸から単身上京し、「STOP パレスチナへの暴力」と記したプラカードを掲げながら、イスラエル大使館の正面に1時間半ほど立ち続けた。警視庁に大使館から抗議が寄せられ、複数の警察官に「国際問題になる」と約20メートル離れた場所に誘導されたが、「法的根拠はない」と言われたので断ったという。  「警察官は悪くないし、このやりとりで昼食を食べられなかったようだ」。そう思いやりながら、言葉に力を込める。「国際人道法に違反しているのは、私ではなくイスラエルだから」

◆原発事故後と似た違和感

 原発事故直後、福島県入りした際に抱いた違和感と似ているという。「原発に対して何か発することに、悪いことをしていないのに、漠然とした不安を感じる空気が満ちていた。『公安関係者が見ている』『逮捕されたらどうしよう』という声もあった」  同時に、平和憲法を頂く民主国家・日本での生活や抗議活動を「特権」とあらためて感じている。

パレスチナ問題への思いを語る疋田さん

 「あの場所がパレスチナだったら、イスラエル軍に銃撃されて一瞬で終わり。憲法や法律に守られているからこそ、個人は権力と対峙(たいじ)できる。まっとうな行動をしている個人が、排除されない社会を維持したい。望ましいのは暴力や支配を受けない状態だが、パレスチナ人は違う。私が特権を持っているのなら、より弱い立場の人のために行動しないといけない」  憲法の前文には、こんな言葉もある。〈われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない〉。議員アンケートなど、日々の活動の中で深く意識するようになった。「日本政府も、ジェノサイドを止めるため、国際社会で積極的な役割を果たしてほしい」  仕事、育児、市民運動。三つを成り立たせるのは困難を極めるが、夫の協力を得ながら、今後も神戸だけではなく、九州や首都圏のスタンディングデモにも参加するつもりだ。  「原発事故でも、ガザ侵攻でも、まず子どものことが頭に浮かんだ。今は一緒に暮らす小さく、弱い人を意識する。守らないといけない」。傍らのまな娘の頭をなでた。(西田直晃)

◆デスクメモ

 戦争に反対し、自由に意見を言い、選挙で選んだ代表を通じて政治参加する—。疋田さんの言葉から見える憲法の「平和主義」「基本的人権の尊重」「国民主権」は、実は私たち皆を守っている。先人に感謝しつつ、どう生かしていくか。3日の憲法記念日に向けて、考えていきたい。(本) 

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