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<家族間でも、友人間でも、「雑な扱い」を受けるのは屈辱的なこと。でも相手が自分をどのように扱うかは、あなたの心がけ次第である程度コントロールできる>

年を重ねれば重ねるほど、大人として、年配者として常に相手への気遣いが求められる。

しかし、よかれと思った言動がかえって自分の立場を弱いものにしてしまったり、相手との距離感が近くなりすぎてしまったり、大人の人間関係は難しいものだ。

この記事では、42歳でパーキンソン病を患い、30年以上にわたり多くの患者を診察してきた精神科医キム・ヘナム氏が、65歳の現在地だからこそ見えた「健全な人間関係」の築き方を伝授する。
「年甲斐」「分別」「大人げ」「責任」といった、大人だからこそ背負わされてしまう「生きづらさ」を解きほぐす心理学の知恵を集めた、韓国で20万部を突破したキム氏の著書『「大人」を解放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)から一部を抜粋し紹介する。

※本書からの抜粋第1回:韓国人は7割が「完璧主義者」!? 競争社会で「成果を上げる人」と「ストレスで潰れる人」の違い

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周りを見ると、責任感が強くて周囲への気遣いがあり、常に親切であろうと努めている人たちがいる。彼らの大半は人から頼まれると断れない性格だ。

断ったらがっかりされる、今回だけは我慢するか、自分さえ我慢すればみんなが助かると考え、無理な要求も聞き入れてしまう。断ったら相手との関係がこじれそうで怖いからだ。

このように嫌でも平気なふり、つらくても大丈夫なふり、腹が立っても何でもないふりを一生懸命している人たちは、相手の気持ちばかりおもんぱかって、自分の心がすり減り爆発しそうなことには気づかない。

それどころか全く非がないところで、とりあえず謝ってしまうこともある。彼らは他者と対立することを極度に嫌うため、先に謝ることで摩擦を避けようとするのだ。自分の意見を主張するより、他人の意見に従うほうが安心だと自らを慰めながら。

しかし謝罪に関しても、過ぎたるは及ばざるがごとしだ。謝罪の言葉を口にすれば、お互いに激高せずには済むかもしれない。それによって、その場は気持ちが楽になることもあるだろう。

とはいえ単に気まずさを回避するためだけにする謝罪は、すこぶる愚かなものである。何も悪いことをしていないのに、どうして自らをおとしめようとするのか。相手のことを尊重しておきながら、自分自身をドブに突き落としているようなものだ。

あなたを守れる人間は他の誰でもない、あなた自身だ。だから何も非がないところで謝る行為は、自らを侮辱する行為にほかならない。自分自身を雑に扱うなんて、あってはならないことである。

人から不当な扱いを受けた場合も同じだ。じっと我慢していたら、相手はあなたを無碍に扱ってよいものと考え、次からはそのことに罪悪感さえ抱かなくなる可能性がある。だから不当な時は不当であると、しっかり主張することだ。それでこそ、相手もあなたに敬意を示すようになるのだから。

仕事であろうとプライベートであろうと、我慢には限界がある。だから無理な要求をされた時は自分だけ損しているような気持ちになるし、相手が恐縮するどころか悪びれない態度を取ってくれば、こみ上げた怒りがいつまでもくすぶることになる。

さらにそうしてたまった怒りは、本人も気づかぬうちに爆発するものだ。すると自分を押し殺してまで守ろうとした関係が、それによって一瞬のうちに崩れてしまう。

だから私は結婚する娘に、無理に「いい嫁」になろうとしないよう伝えた。娘の性格なら努めて義実家に気を遣うはずだけれど、そうすればあちらの期待も普通以上に高まって、そのうち娘の首が締まるだろうと思ったからだ。

その代わり娘には「気の置けない嫁」になることが、本人にとっても義実家にとってもいいことだと伝えた。

どんな関係においても、一方的に相手に合わせるのではなく、お互いに歩み寄ることが必要だ。それでこそ、どちらか一方だけが犠牲になるという悲劇を防げる。

また、お互いにできないことや嫌なことを知っておけば、気張らない関係を築けるものだ。

そういう意味で言うならば、長期的に良好な関係を持続するための力は「限りない親切と気遣い」ではなく、「たしかな線引き」によって生まれるのではないかと思う。

線引きをするということは、双方の間に越えられない壁を作り接触を断つということではない。自分にできることの限度を提示し、そこまでは最大限に気遣うけれど、それ以上は無理だと伝えることだ。

そうやってたしかな線引きをしておけば、相手の心を推し量って神経をすり減らしたり、能力以上の仕事まで抱えこんで苦しんだりしないで済む。

このように線引きをすることは、あなたを雑に扱おうとする人たちから、あなた自身を守るために必ずすべきことだ。それを身勝手だと非難する人たちもいるが、線引きをすることは決して身勝手なことではない。

身勝手とは、相手の不利益を考えず自分の利益を優先する態度のことだ。一方で限度を示すことは、自分の立場や能力ではここまでしかできないと相手に明示することである。

自分にはできないことや、自分には変えられない関係にすがることなく、自分の限度と自分自身を尊重してくれる大切な人たちに注力するということだ。ゆえに相手から雑に扱われた時は、線を引いて自分の身を守ることが先決である。

そうはいっても、人というのは往々にして線引きすることを躊躇しがちだ。相手から嫌われたり関係が崩れたりしそうな気がして不安で線を引くことができないのである。自尊感情が低い人ほどその傾向が強い。

もちろん、自分の気持ちを正直に明かせば一時的に周りの人を寂しい思いにさせることもあるだろう。しかし、あまり心配する必要はない。

ドイツの関係心理専門家ロルフ・セリンは、『ここまで、そしてそれ以上』(未邦訳)で自身の経験と自身が治療した数十万人の診療記録を基に、きっぱりと線引きした際には奇跡ともいえる変化が起きたことを明らかにした。

きっぱりとした線引きをとおして関係は壊れるどころかむしろ強固になり、感情を抑えこまずに本心を明らかにしたことで初めて本人の思考と趣向が尊重される関係へと発展したというのだ。

だから線引きを恐れる必要はない。線を引くことでさらに発展する関係こそが、あなたが求める関係だろうから。

ただし、線を引く際は柔軟ながらも毅然とした態度で臨まなければならない。

とはいえ相手から雑に扱われたり、無理な要求をされたりすると、人はどうしても傷ついて感情が高ぶるものだ。そういう時はすぐさま反応するのではなく、一旦すべてを停止させて高ぶった感情を鎮めることが先決だ。そのあとで相手に自分の意見をきちんと伝えるのである。

この時、曖昧な表現をしては相手が理解できない可能性がある。また、どんなに不快な扱いをされたとしても相手を非難せず、自分には何ができないのかということについてのみ話すように心がけるといい。それでこそ相手に自分の意思を尊重させられるというものだ。

どんなに老いて体が弱っても、人生の舵はできるかぎり自分で切ったほうがいい。自ら選択し決定することが増えるほど、人生の幸福感や達成感、自尊感情は高まるからだ。


『「大人」を解放する30歳からの心理学』
 キム・ヘナム 著
 渡辺麻土香 訳
 CCCメディアハウス

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