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<現代人は時間に追われ、トラブルばかり、、、。『悩まない練習』を上梓した禅僧の枡野俊明さんは「禅は、よいも悪いも一切忘れることの大切さを教えてくれる」という>

※本稿は、本誌ニューズウィーク日本版が「世界が尊敬する日本人100 人」に選出した枡野俊明さんの『悩まない練習』(プレジデント社、セブン‐イレブン限定書籍)の一部を再編集したものです。

【現代人は「余白」がない】

現代人の時間の使い方は、忙しいがゆえにとても慌ただしいものになっています。

仕事であちこち飛び回っている人のスケジュール表を見ると、向こう数カ月は予定でびっしり埋め尽くされていたりします。朝から晩まで余白がどこにもないのです。

こんなに忙しいとたいへんだろうなあ、と思いますが、スケジュール表に何も書かれていない空白があると、むしろ不安になる人も少なからずいるそうです。

予定がないと不安になるのは、忙しいことが自分の価値を担保すると思い込んでいるからだと思います。また、忙しいことそれ自体に、ある種、中毒性のようなものがあるのかもしれません。

【「7回走ったら、一度は休みなさい」】

けれども、日々時間に追われてばかりいては、自分という存在が何なのかがわからなくなってきます。時に立ち止まり、自分を見つめる時間が必要です。

禅語に「七走一坐しちそういちざ」という言葉があります。「7回走ったら、一度は休みなさい」という意味です。際限なく走り続けることはできません。全力で走ったら、一度休息をとり、自分の走りを見直すことが大切なのです。

「一日一止いちにちいっし」という中国の言葉もあります。「一日に一度止まれば、正しい生き方ができる」という意味です。

走っている状態をやめ、休息をとるには、意識的に心がける必要があります。

【車も人生も「遊び」が重要】

たとえば、1カ月のうち丸一日は何もしない日をつくってみてはどうでしょうか。その日はいっさい何の予定も入れないのです。ちょっとした用事を入れたくなっても、あえて入れないようにします。

ただ、ぼーっと部屋の中で過ごしたり、街をぶらぶら散歩したりして、空白の時間に浸ってみてください。

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そうすることで、心地よい時間の流れがあることに気づいたり、忘れていた自分を取り戻したりすることができるかもしれません。

何の予定も入れない日をつくるのがむずかしい人は、毎日の中で余白の時間をつくってもいいと思います。朝から晩まで忙しくしている人でも、工夫すれば毎日、30分くらいは自分の自由にできる時間をつくれるはずです。

忙しいさなかに時間の余白を少しでもつくることは、生活にいいリズムをつくり、心に余裕をもたらしてくれます。

車のハンドルは、"遊び"がなければコーナーをまわったり、方向を変えたりする際、かくんとなって滑らかな運転ができません。生活における時間の余白は、いってみれば、このハンドルの遊びのようなものです。

【僧侶が一日のやるべきことほとんどを午前中にすませる理由】

修行中の僧侶は、一日のうちのやるべきことをほとんど午前中にすませるようにします。また、晩課ばんかという夕方のお勤めからの時間は、基本的に何をしてもよい自由な時間になります。

僧侶の生活は、こうして必ず余白の時間を設けます。その時間に何をするか、どのように自己と向き合い、何を感じ取るか。これもまた修行の一環でもあるのです。

忙しくても、生活の中に余白をつくる。それこそが豊かなものを生み出す、宝のような時間になることを覚えていてください。

【人の悩みの大半が「人間関係」】

ところで、人の悩みの多くは、人間関係からくるものです。

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人間関係のもつれは、相手がいなくなれば問題はなくなりますが、ずっと継続してつき合っていかなくてはならない相手であれば、何とかしなくてはと考えます。

そのとき、「相手のこんなところが変わってくれたら」とつい思ってしまうことはないでしょうか。

ところが、相手の苦手な部分を遠回しに指摘したところで、素直に肯定してくれることは滅多にありません。むしろ、へたに刺激すれば怒り出されるだけでしょう。

【相手を変えようとしない】

相手は変わるどころか、ますます意固地になり、解決からは遠のいてしまいます。それどころか、自分の思い通りにならないことに、かえってストレスが増すばかりです。

人の性格や行動パターンを変えようとすることほど、不毛なものはありません。

誰であれ、小さい頃から何十年と培ってきた性格や習慣が、一朝一夕に変わるはずはないのです。

家族など近しい関係にあると、なおさら相手を変えようと躍起になったりしますが、変えようと思えば思うほど、お互いにストレスがたまり、泥沼にはまっていくばかりです。

友人にしても、生まれた場所も、育った環境も、受けた教育も、何もかも違ったりするわけです。

【変わるのは相手ではなく「自分」】

こうしてほしいと相手に願うことは、基本的に自分の価値観や尺度の押しつけでしかありません。

そこで視点を百八十度変えます。相手を変えるのではなく、自分が変わろうと考えるのです。相手を変えようとするのは、相手に期待することですが、その気持ちをあっさり捨て去ります。

いままでは嫌な部分に触れると相手のすべてを否定したくなったかもしれませんが、それをやめます。受け入れるのです。

受け入れるといっても、肯定するのとは違います。受け入れるとは、「こういう人なんだな」と、まずは、あるがままを認めることです。人はそれぞれ生まれ育った環境があり、経緯があります。こんな嫌なものを出してくるのは、その人の歴史がそうさせていると理解してあげるのです。

そんな姿勢で接していけば、気持ちに余裕が生まれます。すると相手は、いつもと感じが違うなと気づきます。自分を拒絶していたものが和らいでいる。そう感じただけで、おもしろいことに、その人のいい部分が自然と出てくるようになったりするのです。

【人間関係は「鏡」のようなもの】

いい部分が出てくれば、やがていい循環を始めます。人間関係は鏡のようなところがあります。悪い部分を出せば、相手も悪い部分を出すし、いい部分を出せばこちらもいい部分で反応するものなのです。

理想的な人間関係は、お互いにいい面ばかりを引き出すような関係性です。人は誰しもよい部分と悪い部分を半々に持っているのですから、なるべくいい部分でつき合うことができれば問題は起こりません。

苦手だと感じていた相手にいいなと感じる行動があれば、それを評価し、ほめましょう。誰しも欠点を指摘されるとカチンときますが、ほめられれば嫌な気はしません。

【「いい部分」を見て接すれば欠点は気にならなくなる】

相手が気遣った行為を示してくれれば、「有難う」という感謝の言葉を伝えます。ほめて感謝をする。

なるべくいい部分を見て接することで相手との関係性が変わってくれば、相手の欠点は次第に気にならなくなります。

自分の価値基準や理想を相手に押しつけている限り、関係はよくならず、自分自身が辛くなります。人を変えようとするのは、どこか傲慢ごうまんなことなのです。

相手に対する視点をそのように持ち変えれば、人間関係の問題はぐんと減っていくと思います。

【人の世は「グレーゾーン」ばかり】

私たちはものごとに接するとき、「よい、悪い」「成功、失敗」「勝ち、負け」「味方、敵」「美、醜」といった二元論の価値判断を行いがちです。

しかし現実は、黒か白か、といったようにはっきり分けられるものではありません。

「よい、悪い」であれば、見方によってはよいけれども、別の見方をすれば悪いものもたくさんあるでしょう。「成功、失敗」であれば、成功とも失敗ともいえない結果はいくらでもあるはずです。

「勝ち、負け」にしても、勝ちか負けかは一見はっきりしているように見えますが、そんなことはありません。たとえば、戦争に勝ったとしても、たくさんの犠牲を払って戦争を起こした行為自体が人間として負けているという考え方もできます。

二元論において相反して向かい合っている価値観の間には、常にグレーゾーンが広がっています。

【「よいも悪いも、一切忘れなさい」】

私たちが足を着けている現実世界は、グレーゾーンだらけです。しかし、多くの人は、そのことを忘れて、成功や勝つこと、あるいは美しさばかりを求めて生きています。

そうした執着は、大事なものを見失わせます。

成功への過度のこだわりは、失敗から大きなことを学ぶ謙虚さを失わせかねません。自らの美への強いこだわりは、老いを否定的なものとしてとらえ、不幸な老年期をもたらしたりもするでしょう。

禅は、「両忘りょうぼう」といって、「よいも悪いも、好きも嫌いも一切忘れなさい」と戒めます。

【あるがままをそのまま受け入れる】

AかBかという二択でどちらかを、よい悪い、好き嫌いで選ぶのは、やめましょう。人間の頭が勝手に生み出す"レッテル"を忘れて、あるがままを受け入れなさい、と教えるのです。

黒か白かというものさしを脇に置けば、黒と白がさまざまな具合で混じった状態が見えてくるはずです。

しかも、黒と白の混ざり方は、時間の推移、環境や条件の変化によって刻々と変わっていきます。たとえば、雲が変わっていくような変化を何の価値判断も行わず眺めてください。それが「無常」ということです。

真実の世界は、二元論を超えたところにあります。心で素直に無常の変化を感じると、ひとつの価値観だけに囚われていたときには見えなかったものが見えてきます。

そのことは、固定した考え方から自由になるきっかけを与えてくれるはずです。

枡野俊明『悩まない練習』(プレジデント社)


※当記事は「PRESIDENT Online」からの転載記事です。元記事はこちら。




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