地元のハールシュレベリュー種で作った白ワイン。この地方ならではの伝統的な品種を使ったワイン造りに力を入れていきたいと考えている=村松史郎撮影

欧州の農業国ウクライナは、長い歴史を持つワインの生産地だ。ロシアの侵略で大きな打撃を受けたが、皮肉なことに国際的な知名度も上がり、日本でも注目されている。一大産地の西部ではミネラル分の多い土壌が豊かな香りを生み出し、「銀色の地」との異名を持つ。生産者たちは戦後の復興に備えて操業を続けている。

ザカルパッチャ州はハンガリーなどと接する最西端の州で、ウクライナでも有数のワイン産地である。7月下旬、同州の町ムカチェボの生産者で、同州の生産者協会会長、オレクサンドル・ハルノブディイさん(57)が経営する「シュティフコ・ワイナリー」をたずねた。

ザカルパッチャはロシアの攻撃が届かず、国内で唯一、夜間外出禁止令が出たことがない。ワイナリーへの道沿いにはヒマワリ畑が広がる。墓地に戦死した兵士の真新しい墓石が目立つことを除けば、戦争を忘れそうになる。

ハルノブディイさんが祖父母から引き継いだ民家の裏には、1ヘクタールほどのブドウ畑が広がっていた。物理学を学び大学の教師として勤め、退職後の2018年にワイン造りを始めたという。

ウクライナ西部でワインを作るオレクサンドル・ハルノブディイさん(ザカルパッチャ)

試飲したシャルドネのワインはグラスに顔を近づけただけで、驚くほど爽やかな香りが立ち上った。対照的に飲み口はさっぱりしている。同じ白ブドウのミュスカや、この地方で昔から栽培されてきたハールシュレベリュー種のワインも、ふわっと広がる香りの強さが印象的だ。

ハンガリーのワイン醸造家でワインライターのゾルターン・ベンヤークさんは、長年この地域のワインに注目してきた。「火山性の土壌と独特の気候で非常に特徴的なワインが出来る」そうだ。「特に白ワインは品質が上がった。今後も(世界のワイン業界の)流行に流されないようにすれば、素晴らしいワインが出来る」と評価する。

「ソムリエたちには『ザカルパッチャの土の香りがする』と言われる」(ハルノブディイさん)。歴史上ハンガリーの一部だったこともあり、同じウクライナの黒海沿いのオデッサなどより、ハンガリーやスロバキアのワインに似ているという。

ハルノブディイさんは仲間とともに、地元産ワインの地理的表示の登録に取り組む。「銀色の地のワイン」という表示にする予定だという。11世紀のキーウ(キエフ)公ヤロスラフ1世の娘でハンガリー王と結婚したアナスタシヤが、ある書簡でこの地域を「銀色の地」と呼んだことにちなむ。一説には、山の上から眺めると、この地域を流れる川が銀色に輝いたからだそうだ。

「銀色の地」という名前を選んだのは、響きが美しいからだけではない。「ザカルパッチャ」はソ連の独裁者スターリンが使ったため、避けたいのだという。国連食糧農業機関(FAO)や欧州連合(EU)の支援を得て、品質の向上にも取り組む。ワイン生産技術のセミナーや品評会を開催し、地元の伝統的な品種の栽培も強化する方針だ。

ハルノブディイさんが祖父母から受け継いだ家の裏にブドウ畑が広がる(同)

ウクライナワインに対する国際的な関心も高まってきた。海外のワインフェアで紹介されているほか、戦争が始まってから米専門誌ワインスペクテーターや米紙ニューヨーク・タイムズなど、各国のメディアも相次ぎ取り上げた。

ウクライナのワイン生産は紀元前に遡るとされる。ハルノブディイさんのワイナリーの近くの丘でも、1世紀ごろのものとみられるワイン生産用の道具が出土した。13世紀のこの地のワイン造りに関する公文書も残っている。

同国のワインの歴史には、政治が色濃く影を落としてきた。1980年代のソ連の禁酒キャンペーンでは多くのブドウ畑が失われた。2014年にはロシアがクリミア半島を併合し、ウクライナはワインの一大産地を失った。

ハルノブディイさんの小さなブドウ畑も例外ではない。ソ連初期、富農だった祖父母は当局にシベリア送りされるのを恐れて、山の中に逃げた。残った農場の従業員たちが空き地は没収されやすいと考え、空いていた土地に丈夫なイザベラ種を植えたのが始まりだ。

しばらくして戻ってきた祖母は、収穫したブドウを使ってこっそりとワインを造った。生産は違法だったがその売り上げのおかげでハルノブディイさんは勉学を続けられ、教師になれた。

22年2月にロシアがウクライナを侵略したときは国外の友人が「逃げてこい」と言ってくれたが、ハルノブディイさんは残った。ワイナリーから近いウジホロドの自宅に、他地域から避難してきた20人を受け入れたという。

「しばらくはワインのことは考えられなかった」と侵略当初を振り返る。他の地域のように直接攻撃にさらされることはなかったが、消費の多い男性が徴兵され、売り上げは落ち込んだ。

祖父母の代に植えた丈夫なイザベラ種に、国際的な品種や地元の伝統的な伝統品種を接ぎ木した(同)

今は祖父母の家を改装し観光客向けの試飲スペースを作ろうとしている。戦争が終われば訪れる人も増えると考える。「この困難を乗り越えたい。うまくいかないかもしれないが、やらないよりはやったほうがいい」と語った。

ウクライナについて「日本でいえば、山梨(大陸性気候)と静岡(海洋性気候)が一緒にあるような、さまざまなワイン用のブドウ栽培に適したエリア。上質なワインを造り続けている」と話すのは、日本ソムリエ協会会長の田崎真也さんだ。日本の流通は今は少量だが、戦争終結後は入手しやすくなるだろう。「土着の品種のワインは個性的。ボルシチなどウクライナ料理と合わせて味わうのがおすすめ」と話していた。

北松円香

ミハイロ・メルニチェンコ撮影

(2024年7月31日公開の記事を加筆修正しています)

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