わが家に伝説がある。祖母のキリは結婚式の前夜に駆け落ちしたというのだ。駆け落ちの相手はボクの祖父の林太郎。時は明治の初め頃だった。

祖父母は隠居にいたが、なぜか親しくした記憶がない。つまり、可愛(かわい)がられた思い出がない。

祖父はともかく、祖母はやっかいな人だったらしい。ボクが食べてしまうから、といってミカンの木を切ってしまった。家を出ている父の兄弟に平等に田地を分与したので、跡取りになった父の財産が少なくなり、農業だけでは暮らせなくなった。祖母は毎日機(はた)を織る働き者だったのだが。

やっかいな祖母、という印象は母から与えられたものである。今にして思うと、母と祖母の間に熾烈(しれつ)な嫁・姑(しゅうとめ)の争いがあったらしい。母から伝えられる祖母の印象が、祖母はやっかい、という印象になったのだが、でも、祖母への反感とか怒りはボクにない。もしかしたら、結構可愛がられていたのかも。ミカンの木を切ってしまったのも、孫がのぼって危険だから、という配慮だったかもしれない。

天王寺動物園(筆者撮影)

祖母はボクが5、6歳の頃に亡くなった。記憶が淡いのはボクがまだ幼かったということも一因だろうが、最近、時々その祖母が目に浮かぶ。手に手をとって夜逃げしている姿が現れるのだ。その祖母は、自分の思いを遂げた勇敢な女だった、と言ってもいいのではないか。

「牡丹雪(ぼたんゆき)イソギンチャクになる二人」「心中がいいなほらほら磯巾着(いそぎんちゃく)」「駆け落ちの先祖かミドリイソギンチャク」。これらはボクの新句集『リスボンの窓』(ふらんす堂)にある句。いつの頃からかボクはイソギンチャクと祖父母を重ねているようだ。

(俳人、市立伊丹ミュージアム名誉館長)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。