スペイン北東部、フランスとの国境近くの街・ジローナに、チョコレート工房を構えたホテルがある。「カサ・カカオ」だ。通りからも受付からも、スタッフがカカオ豆を焙煎(ばいせん)する様子が見える。客室はカカオの外皮の黄や茶色、木をイメージした緑などで彩られ、最上階レストランではチョコレートのマカロンや、揚げ菓子にチョコクリームを詰めた郷土菓子「シュシュ」などを織り交ぜた朝食が楽しめる。料理に使うこともあり、まさにカカオ尽くしだ。
オーナーのジョルディ・ロカさんは、ジローナにある高級レストラン「アル・サリェー・ダ・カン・ロカ」のヘッドパティシエでもある。長兄はシェフ、次兄はソムリエで、3兄弟で営むそのレストランは、2009年からミシュラン三つ星を獲得し続け、世界のベストレストラン50でも2度、1位になった有名店だ。「ロカ兄弟」の末っ子、ジョルディさんは新しい技法で独創性あふれるスイーツを作ることで知られる。
ジョルディさんがホテルを開くまでにカカオにのめり込んだのは、10年、生クリームなどの乳製品を使わず、水とカカオ豆だけで作った先輩パティシエによるガナッシュを味わったことがきっかけだ。それまでは「砂糖と同じような単なる素材のひとつ」と考えていたが、カカオの純粋な味わいに感動したという。ソムリエの次兄がワインの産地や生産者などについて奥深く語ることにも触発され、17年以降、メキシコなど中南米の産地を巡り始めた。
ジョルディさんを工房造りに突き動かしたのは、コロンビアでカカオ栽培を伝承するアルアコ族の村を訪ねたことだ。その村で、カカオは神が人間に与えた神聖な植物として代々大切にされてきたこと、スペインによる植民地化や国家の混乱で栽培が途絶えかけたことなどを聞いた。その後、この地で育ったカカオで作られたチョコレートが国際的に評価され、「ルーツに立ち戻り、失われたカカオとの関係性を取り戻したい」と生産者らが品質向上に取り組むようになった。農園や発酵、乾燥施設を回ったジョルディさんは「彼らの生産するカカオ豆の風味を最大限に生かしたチョコレートを多くの人に味わってほしい」と考えたという。
近年、単一産地の豆を使い、品種や産地など原料による味わいの違いを楽しむ「ビーントゥーバー」の動きが広がっている。しかし、ジョルディさんが着目するのはカカオ豆の色素だ。
カカオの種子(豆)はワインも有するポリフェノールの一種、アントシアニン色素を含んでいる。カカオは多品種ながら、遺伝子的な分類でアントシアニンの多い「フォラステロ種」、あまり含まない「クリオロ種」、その間の「トリニタリオ種」の3つに大別できる。そしてアントシアニンの量によって苦みや渋みの強さといった風味や、豆の色は白から紫まで色が異なる。
乳製品を使わずチョコレートを作ることで「本来の色を生かし、好みの味が生み出せる」と気がついたジョルディさん。そこで創作に専念できる工房造りを計画した。
筆者がホテルの工房を訪ねた2月、ジョルディさんは「赤ワインのような鮮やかな色で、フルーツのような酸味のあるチョコレート」作りに取り組んでいた。高温でローストすると失われてしまうカカオの新鮮な果実味を出すために考えたのは、産地で発酵、乾燥した豆を、真空パックの中で乳酸とアルコールを混ぜて45度に保った液に浸した後、低温でローストする方法だ。アントシアニンの量が多い豆は苦みと渋みが多くなるが、しっかりと取り除くことでベリーのような赤い果実を思わせる味わいに、少ない豆はかんきつ類のようなすっきりとした香味になる。この後、薄皮を取り除くなどの工程へ進む。
アジアのベストパティシエに選ばれたことがある、東京の麻布台ヒルズのフランス料理店「ル・サロン・プリヴェ」の成田一世シェフも、ジョルディさんの取り組みに関心を寄せるひとり。「真空パックの工程で色素を抽出し、きれいな酸味が出せる。これまでにないアプローチ」と話す。
ジョルディさんが工房をホテル内に造ったのは、国や街への思いがある。
初めてチョコレートの原型を口にしたヨーロッパ人は、アメリカ大陸を発見したコロンブスとされる。カカオ豆と唐辛子などを混ぜた「ショコアトル」に砂糖を加えて甘くしたのはスペイン人だ。ジローナには、かつて街の各所に小さなチョコレート工房があった。いま精錬機が地下に残っている家もある。「豆からチョコレートを作る風景を取り戻したい」。加えて、「ホテルがあれば、(3兄弟で運営する)レストランに遠方から来た客も泊まることができる」と構想は広がり、20年にカサ・カカオをオープンした。
「カカオの多様な魅力を発信したい」とジョルディさん。世界をうならせるプレミアムチョコレートが、ホテルの工房から生まれる可能性がある。
ライター 仲山今日子
ジョアン・プジョル・クレウス撮影
[NIKKEI The STYLE 2024年4月7日付]
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