メダカを飼っている。といっても世話をするのはもっぱらヒヤマさん(妻)で、ボクは覗(のぞ)き込む役である。覗くとぱっと散って水に潜るが、じっと覗き続けていると、メダカたちは次第に水面へ現れ、平常通りに泳ぎ始める。このジーサン、危険ではないと察知するのだろうか。

もっとも、ジーサンはそのメダカたちを見ながら、「そういえば新潟県の見附(みつけ)市へメダカを食べに行ったなあ。あの誘ってくれた人、健在だろうか。もう一度食べに行こうか」などとよからぬことを思う。

見附市の界隈(かいわい)では冬場のたんぱく質としてメダカのつくだ煮が食べられていた。味噌(みそ)汁にもなった。「メダカを食べに来ませんか」と招いてくれたのは、地元で文学サークルをやっている餅屋さんだった。彼の家でメダカのつくだ煮をいただいた記憶があるが、メダカよりもお土産に貰(もら)った餅のほうがうまかった。ともあれ、大阪から急行列車に乗って、わざわざメダカを食べに行ったのだ。文学サークルで講演もしたが。

松の芯(筆者撮影)

10年くらい前までわが家は犬を飼っていた。青い眼(め)のシベリアンハスキーが亡くなった際、犬を飼うのはこれで最後にしようと決めた。年齢的に世話が無理になると判断したのだ。でも、家に生き物がいないのはさびしい。それでメダカを飼うようになった。

「一雨(いちあめ)二雨三雨以上メダカの名」。ボクの最新の句集『リスボンの窓』(ふらんす堂)にある句だ。一雨、二雨の前は一滴、二滴だった。さらにその前は一魚、二魚…十魚。たまに、そんな名前をつけて一雨と五雨の区別がつきますか、と問う人がいる。野暮(やぼ)な人だ。

ともあれ、メダカはそろそろ繁殖期、この春は三十雨くらいになりそうだ。

(俳人、市立伊丹ミュージアム名誉館長)

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