成山展望台から望む成ケ島。奥に見える小さな丘、高崎とは砂州で結ばれる。右手は由良湾と淡路島 (小林希撮影)

昭和9(1934)年3月16日に、わが国最初の国立公園の一つに指定された瀬戸内海国立公園が今年で90周年を迎えた。9年以降にも度重なる追加指定を経て、現在は1府10県にまたがる国立公園となっている。25年に追加指定された無人島の成ケ島は、紀淡海峡に面した淡路島の沖合に浮かぶ。北側の成山(標高約50メートル)と南側の小さな丘、高崎を約3キロの砂州が結んでいる。京都府の日本三景の一つ「天橋立」のような絶景を誇ることから「淡路橋立」と呼ばれている。

成ケ島の桟橋近くに建てられた淡路橋立の碑 (小林希撮影)

成ケ島はもともと、現在の由良湾を囲むように成山と高崎が淡路島と陸続きになっていた。17~18世紀にかけて廻船(かいせん)問屋が台頭し、大型船の入港が不可欠となると、成山と高崎を淡路島から切り離す開削工事が行われて、文政6(1823)年に島となった。昭和23(1948)年には成ケ島と名付けられた。

兵庫県では、「絶滅の危機にある貴重な野生生物、地形、地質、自然景観などを保全し、生物多様性を確保する」ことを目的とし、平成7(1995)年から兵庫県版レッドデータブックを作成している。成ケ島の希少な植物を含む自然植生や生態系なども登録された。

豊かな植生をゴミから守る 環境学習の場に

夏は黄色のハマボウ、秋は赤色のハママツナなどが島を彩り、海浜には300種類以上の貝類が見られる。また、南北に細長い島の西側(由良湾側)は満潮時には海水につかり、干潮時には干上がる砂泥地の塩沼(えんしょう)湿地で、東側は砂浜が続く。そのため狭い範囲で異なる植生が見られる。

一方で、海洋ゴミの漂着や外来植物の繁茂が課題だ。30年ほど前から洲本市立由良中学校の生徒らによる清掃活動「成ケ島クリーン作戦」が行われたり、地元団体「国立公園成ケ島を美しくする会」が地元の小中学生を対象に環境学習を行ったりしている。

幕末から先の大戦まで、成ケ島は国防拠点の一つでもあった。文久元(1861)年に、幕府の命を受けた徳島藩が高崎にフランス式砲台を建造する。明治に淡路島の由良地区が陸軍によって要塞化されると、一般人は島への立ち入りができなくなった。

昔をよく知るガイドの花野晃一さんは「それでも、年に一度は軍が特別に許可を出して、一般人も潮干狩りができた。その最中に、米軍の襲撃にあったことがあるらしい」と教えてくれた。

成山展望台から竜のようにも見える島を一望する。島の歴史を忘れてはならないと思いつつ、自然を愛(め)で、環境について考える時間こそ平和の象徴であり、貴いものだと感じた。

アクセス

兵庫県洲本市の由良支所北桟橋か生石桟橋から船で。運航日は金、土、日、月曜、祝日。

小林希

こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は150島を巡った。

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