俳優の真田広之さん=2004年8月31日、東京都千代田区


2004年9月23日付の産経新聞に掲載した連載「話の肖像画」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。

《海外の作品に参加することは日本を背負っての戦い。しかし火花を散らしているばかりではない》

──多国籍的な映画の製作現場で文化ギャップは障害になりますか。

真田 一つの脚本をはさんで一つの作品を作っていくという点では言葉も関係ないし、映画人としての共通言語は持てるんですけど、撮影といえども生活。言葉、習慣、宗教、価値観の違いなど気にさわるところが膨らんでいくと、現場にも影響してきます。相手の習慣、文化を理解して、自分の価値観を押し付けず、押し付けられず、コミュニケーション法を見つける。そのスタンスを築くまでが一仕事。

──でも映画人として、こと日本がらみの撮影では譲れないこともある。

真田 ぶつかりあって火花を散らすのではなく、いかに理解し合うか、ですね。ハリウッド映画に対し、時代考証の先生のように頑固に主張すると、「じゃあ、オレたち勝手につくるよ」となってしまう。日本人としておかしく感じない、ウソでない範囲で、世界が求めている娯楽性に答えるベストの作品をいかに柔軟につくってゆくか。そういう作業が、海外作品に参加する醍醐(だいご)味ですね。

──文化の対決と融合ですか。

真田 ここは絶対譲れないと、きりきり胃を痛めながら戦っているんだけれど、でも向こうもだんだん理解してくれて、どっちも納得できる答えが生まれるんです。中国の現場でもサッカーのアジア杯の日中決勝戦(八月七日)は空気が痛いんですよ。でもそれを乗り越えて一つの作品を作り上げて「やったね」と握手をしている。あちこちで起きているいざこざの根源は文化や価値観の違いに根ざしていると思うので、映画は政治では成しえない力を持っているな、と思うんですよね。

──そうなると、自身が自国文化をどれだけ知っているかが勝負ですね。

真田 ええ、海外に出れば出るほど日本のことを勉強させられますね。日本にいると(時代考証など)各エキスパートに任せていたことを、海外では自分で背負わなくちゃいけませんから。

──そういった経験は日本の映画の現場にも反映される?

真田 海外の現場で学んだことを日本の映画作品に生かしたいということも僕の目標のひとつなんですよね。中国の現場では、撮影のピーター(鮑徳熹)、美術のティム(葉錦添)と、アカデミー賞受賞者が二人もいるんですけど、完全に世界のマーケットを見ている。現場で悩んだときも、世界の観客はどう見るか、というジャッジで選択していく。これは日本の現場にも学んでほしい。

《鮑氏と葉氏は『グリーン・デスティニー』(李安監督)で、第73回米アカデミー賞で撮影賞、美術監督賞をそれぞれ受賞。同作品は外国語映画賞を含む計四つのオスカーを獲得し、中国映画人の実力を世界に見せつけた》

──日本映画も世界を認識せよと。

真田 日本の映画スタッフは非常に優秀ですよ。高いクオリティのものを時間内に仕上げるスケジューリング能力など、ハリウッドに「学べ!」といってやりたい。日本人スタッフで海外へ出ていっている人も結構いるんですよ。その反対(のスタッフ交流)もこれからあるでしょう。それを受け入れるだけの土壌を作らないと。日本はもともとレベルが高いので世界を見据えた一人の監督の出現で、すぐにでも対抗できますよ。

日本でありがちな芸能界臭のする映画はこれから死滅しますから。世界の中の映画人という存在があって、それから日本国籍がついてくる。そういう時代に突入していくんじゃないでしょうか。

(福島香織)

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