JR博多駅の新幹線改札口に掲示された計画運休の可能性を知らせる案内(2024年8月28日、福岡市)

早いもので、今年も間もなく暮れようとしている。2024年(令和6年)に鉄道界で話題を集めた言葉といえば「計画運休」であろう。

計画運休とは文字どおり、事前に列車のすべてまたは一部の運転を見合わせることを指し、台風の襲来や大雪が予想されるときに実施される。こうした時には列車の運転が困難になるうえ、運転を強行した結果、途中で立ち往生し、多数の旅客が車内で長時間閉じ込められるケースがたびたび発生してしまう。計画運休はこうした不測の事態を避けるために行われる。

今年は規模の大きな計画運休が2回実施された。どちらも台風の接近に伴うものだ。8月16日のものでは、新幹線への影響だけでも、東海道、東北、上越、山形の各新幹線の一部または全区間で列車が終日運休となった。8月28日から9月1日にかけてのものでも、新幹線では九州、山陽、東海道の各新幹線が一部または全区間で運転を取りやめた。

計画運休に寄せられる意見は主に2つに集約される。一つは、事前の告知が遅いため、列車が運転されていると思って駅に来てしまったというものだ。もう一つは、予報が外れて荒れた天気とはならなかったとか、予想よりも早く天候が回復したのに運転を再開しないとか、運転再開が遅い、などといったものである。

1日半前に事前告知

1つ目の意見への対策として、計画運休ができる限り早く告知されるようになった。例えば、JR東海は8月16日に実施した東海道新幹線の計画運休を、36時間前の14日午後6時に発表している。16日はお盆のUターンラッシュで混雑が見込まれており、普段は東海道新幹線に乗り慣れない旅客が多数いると予想されていたからだ。

台風7号の接近による計画運休の実施を伝えるモニター(2024年8月16日、JR東京駅)

帰省先から戻ろうとする人たちは、列車が運休した場合に移動日を変えることはできるが、移動自体を取りやめることはできない。当日どんなに天気が悪くても駅に集まってしまい、混乱をさらに広げる恐れがあるため、計画運休を早めに知らせる必要があったのだ。

とはいえ、計画運休を早く告知すればするほど、2つ目の問題に直面しやすくなってしまう。精度が向上したとはいえ、天気予報は完全ではないからだ。

現に8月16日は台風7号が予想よりも東寄りのコースを通ったため、東海道新幹線の沿線ではあまり風雨は強まらなかった。SNSでは著名人を含めて列車の運転再開を望む声が高まり、テレビ局は筆者にコメントを求めてきたが、筆者は予定どおり運休にしたままのほうがよいと述べてきた。理由は次の通りだ。

線路や施設の点検が必要

台風がそれたとは言っても、線路や施設は雨や強い風に見舞われているから、運転を再開できるかどうかを判断するには、沿線の降水量や風速を観測することはもちろん、実際に線路や施設を点検しなくてはならない。その確認に時間を要するので、予定通りの期間は運休を続けたほうがよい。

加えて計画運休を途中で打ち切った後、即座に列車を完全な状態で運転できるとは限らない。新幹線のように長距離を結ぶ路線では車両などのやりくりがつかず、一部の列車を間引く必要も生じる。そうなると駅で混雑が発生する恐れがあり、あまり良いことではない。

国土交通省の調べでは、計画運休が行われた結果、会社や学校は休みになったり、早期帰宅が促進されたりしたという。不要不急の外出の抑制やイベントの中止などにもつながり、社会の安全を確保する役割を果たしていたと同省は評価する。実際にその通りで、大荒れになるという天気予報が出ていたとしても、出掛けなくてはならない人は外出してしまう。けれども、列車が動いていないとなると諦めるものだ。

大雪、立ち往生のリスク

これから本格的な冬となり、鉄道は雪に翻弄される。近年は大雪の予報が出されたときにも計画運休を行うことは多い。大雪で列車が立ち往生するトラブルは昔から多数起きているからだ。大雪の予報が出されたときに列車を運休するケース以外でも、除雪作業を行う時間を確保する目的で、午後11時台にJR北海道の千歳線や札沼線の列車を運休とするケースも、計画運休と呼ばれる。

大雪は鉄道の運行に大きく影響する(2022年2月22日、札幌駅)

実は「計画運休」という言葉が初めて用いられたのは大雪のときだ。JRの前身の国鉄が1977年(昭和52年)12月から翌1978年(昭和53)年2月にかけて北海道、東北、北陸の各地区を走る旅客列車や貨物列車の一部をあらかじめ運休させたとき、一般に向けて「計画運休」と呼んだことから広まった。

運休となる列車で目立ったのは、長距離を結んでいた特急列車だ。大雪で立ち往生したり遅れが発生したりすると、折り返しとなる特急列車にも影響を及ぼすため、利用者の少ない列車を中心に間引かれたのである。

懐かしいので、計画運休となった特急列車の名を挙げておこう。北海道地区では札幌駅―旭川駅間の「いしかり」の7往復中3往復、東北地区では上野駅―青森駅間の「はつかり」の5往復中1往復、同区間の寝台特急「ゆうづる」の7往復中1往復、上野駅―盛岡駅間の「やまびこ」の5往復中1往復、北陸地区では大阪駅または金沢駅―新潟駅間の「北越」の3往復中2往復、大阪駅―金沢駅または富山駅間の「雷鳥」の12往復中1往復、米原駅―金沢駅または富山駅間の「加越」の6往復中2往復がそれぞれ計画運休となった。

106時間31分の遅れ

国鉄時代は大雪での立ち往生のスケールも巨大だ。1963年(昭和38年)年1月に北陸地区で発生した豪雪で、新潟駅を上野駅に向けて1月23日夕刻に出発した急行「越路」が大雪に見舞われて立ち往生してしまった。通常であれば約6時間かけてその日のうちに到着するところだが、上野駅に到着したのは5日後の1月28日朝8時29分で、106時間31分もの遅れとなった。当時もこれだけ遅れるのは大きなニュースで、上野駅では多くの報道陣が「越路」を迎えたという。

乗客はずっと車内にいたのではなく、1月25日までに全員が沿線の旅館に泊まっていた。それでも大変なことに変わりはなく、車内では一部の旅客が文句を言って騒ぎ出したという。興味深いのは、国鉄の記録(「国鉄線」1963年4月号、交通協力会)に残る旅客の行動だ。

旅客の中に、いわゆる委員会をつくって旅客側の要求をまとめて国鉄と折衝する人たちが現れた。そのリーダーが怒りで騒ぐ旅客に向けてこう言い放ったそうだ。「窓の外をご覧」と。「あれだけ自衛隊員や国鉄職員が一生懸命作業しているのをみたら、中で文句をいうことはできないじゃないか」と、記録ではその言葉の意味を説明している。

計画運休になると確かに困る。けれども鉄道会社とて休んでいるのではない。今冬も大雪に見舞われる可能性があるが、この点は伝えておきたい。

梅原淳(うめはら・じゅん)
1965年(昭和40年)生まれ。大学卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に入行、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。「JR貨物の魅力を探る本」(河出書房新社)、「新幹線を運行する技術」(SBクリエイティブ)、「JRは生き残れるのか」(洋泉社)など著書多数。雑誌やWeb媒体への寄稿、テレビ・ラジオ・新聞等で解説する。NHKラジオ第1「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。

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