村で唯一の医師は75歳
診療所の閉鎖で残った病院に影響も
これまで対策行うも解消至らず 強い対策求める意見も
《詳しく》医師偏在対策
医師が少ない自治体の中には、高齢の医師が1人で地域の医療を支え、後継者がなかなか見つからないという所もあります。岩手県野田村の医師・押川公裕さんは、村で唯一の診療所を運営し、ことしで75歳になります。野田村は住民のおよそ4割が65歳以上の高齢者で、押川医師の診療所には糖尿病などの慢性疾患を抱えた人や新型コロナなどの感染症にかかった人など、多い日にはおよそ100人の患者が訪れます。また押川医師は、村にある特別養護老人ホームの嘱託医も務めていて、定期的に施設を訪れ入所者の体調管理などにあたっています。さらに村の小学校や中学校、高校のすべてで学校医を務めるなど地域の医療を一手に引き受けています。野田村は11年前の東日本大震災で甚大な被害を受け、押川医師の診療所も全壊しましたが、住民からの強い要望を受けて村が新しい建物を作り、そこで診療に当たっています。およそ20年前に診療所が開設された当初から利用しているという84歳の男性は「先生はとても気さくでいい方です。私を含めて多くの住民がこの診療所を頼っているので、先生がいないと村全体が困ってしまいます」と話していました。一方で、押川医師は最近、体力的な衰えを感じるようになっているといいます。自身も高血圧などに悩まされていて、毎日薬を飲みながら診療にあたっています。自分の後を引き継いでもらえる医師を探していますが、なかなか見つからず、地域の医療をどのように維持していけばよいか、先が見通せないといいます。
押川さんは「村の高齢者は交通手段が限られ、離れた医療機関に通うことも難しく、村にはどうしても医師が必要です。本音では引退してゆっくり休みたいという気持ちもありますが、なかなか許されません。地方に来てくれる医師はほぼいないのが現状で、国の担当者は地方が医師の確保にどれほど苦労しているかをしっかり自分の目で見て、親身になって対策を考えてほしい」と話していました。
医師が少ない地域の中には診療所の閉鎖が相次ぎ、残った病院に患者が集中し診察に影響が出ているところもあります。岩手県久慈市にある県立久慈病院は、地域で唯一の総合病院で、呼吸器内科や整形外科など20の診療科を持ち、救急救命センターも設置する地域医療の要の病院です。しかし、20年前に37人いた常勤医師は、都市部の病院に移動するなどして今は29人に減りました。このため、常勤医師だけで外来診療に対応するのは難しく大学病院から医師の派遣を受けていますが、体制が取れない時は一部の診療科を休診しないといけない日もあります。こうした状況に追い打ちを掛けているのが地域の診療所の減少です。医師の高齢化などで、この5年間に全体のおよそ3割にあたる7つの診療所が閉鎖しました。
これによって、患者が久慈病院に集中するようになり、外来は多くの患者で混み合っています。待ち時間が4時間を超える時もあります。90代の母親の付き添いで訪れていた男性は「母は心不全で2か月に1度は通院していますが、きょうも3時間待ちました。自分は我慢できますが、母のような高齢の患者も多いので心配です」と話していました。また、脳卒中などの治療を行う脳神経外科は、去年、常勤医師が定年退職し、現在は入院や手術を行わず、救急患者は隣の青森県の病院へ転送しています。
久慈病院の遠野千尋院長は、「医療の質を保つには、専門性の高い医療などの集約化が必要だが、治療を受けられる病院が遠くなる患者も出るなど負担は大きくなってしまい難しい問題だ。医師の偏在に対しては、強制するのは難しいかもしれないが、一定期間は地方での勤務を求めるなど、踏み込んだ対策が求められるし、地方の病院は大学病院からの派遣で成り立っているので、派遣元への支援も必要だ」と話していました。
医師偏在をめぐっては、国や自治体などがこれまでも対策を行ってきましたが抜本的な解消には至りませんでした。
そうした中、ことし4月に武見前厚生労働大臣がNHKの「日曜討論」で「地域ごとの医師の数の割り当てを本気で考えなければならない時代に入ってきた」と述べるなど、前例にとらわれない対策を検討していく考えを示しました。これに対し、日本医師会の松本会長は「課題としては非常に重く受け止めているが、いきなり強制的な力を強く働かせることには慎重であるべきだ」などと述べていました。ことし9月には厚生労働省が対策推進本部を設置し、専門家会議などで具体的な対策を議論してきました。その結果、▽医師が少ない地域で診療所を開業する際の経済的な支援の強化や、▽公立病院などの管理者になる要件に、医師が少ない地域で勤務することを加えるなどの対策が打ち出されました。一方で、地域ごとに医師の数を割り当てる対策は盛り込まれませんでした。また財務省は、医師の偏在について「自由開業制を前提とした対策を重ねてきた歴史の中で深刻化してきた問題だ」とした上で、地域によって診療報酬の点数に差をつけるなどの対策を提案していましたが、それについても今回の取りまとめでは見送られました。医師の偏在を解消するためにどこまで踏み込んだ対策を取るべきかは、医療現場や専門家の間でもさまざまな意見が出ています。職業選択の自由や営業の自由との関係を整理する必要があるとして慎重な検討を求める声がある一方で、ある程度、強制力のある対策を打ち出さないと問題は解消されないという声も聞かれます。
医師の偏在を議論する厚生労働省の専門家会議で委員を務めた、医療政策に詳しい国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授は「医師の偏在によって、近くに医師がいないため車で数時間移動したり、特定の診療科に医師が少なく手術の待ち時間が長くなったりするような問題が起きていて、このまま抜本的な対策が打たれなければ、さらに状況が悪化する可能性は極めて高い。これまでは主にそれぞれの地域や診療科だけで対応してきたが、今回、医師の偏在という問題に注目が集まり、さまざまな関係者が集まって協議できたこと自体には大きな意味があると思う」と話していました。一方で、今回示された対策案の内容については、「この問題については立場によっていろいろな考えがあり、合意しやすいところと難しい部分があった。経済的なインセンティブなど合意しやすい部分の対策は出尽くしたと思う一方で、多少迫力不足なところもあると思う」と指摘していました。
その上で、「どこの地域や診療科にどれくらいの医師がいるのかデータで見ていけば偏在の進み方は確認することができる。今回の対策の効果などを国が継続的に追っていくことは非常に意味があることだ。もし、偏在の状況がある程度の危険水域に入るようなことになった場合には今回のように関係者を集めて対策を検討すべきだ」と話していました。
厚生労働省が専門家部会で示した医師の偏在対策に関する取りまとめ案の主な内容です。【規制的な対策】外来の医師が過度に多い地域で診療所を開業する場合、都道府県が「在宅医療」など地域で不足する医療を担うよう要請でき、それに応じないと勧告や公表をしたり補助金を交付しなかったりする対応も考えられるとしています。これについては、一部の専門家から「保健医療機関の指定取り消しなど、より強い規制が必要だ」という意見もあり、影響の大きさなどを踏まえて、対策を始めてから5年をめどに効果を検証するべきだとしています。また、公立病院を含む公的医療機関や国立病院機構などが運営する病院で、院長などの管理者になる要件に、医師が少ない地域で1年以上勤務することを新たに加える方針も示しました。管理者になるための勤務要件は、すでに全国およそ700ある「地域医療支援病院」で導入されていますが、公的医療機関などに拡大されれば、対象はおよそ1600の病院に増加します。これについて一部の専門家からは、「さらに多くの医療機関を対象にすべきだ」といった意見も上がっていましたが、厚生労働省は影響が大きいとして公的医療機関などにとどめる方針です。【経済的インセンティブ】医師が少なく重点的に対策に取り組む必要のある地域をそれぞれの都道府県が選定します。その上で、その地域で診療所を開業したり現在ある診療所を受け継いだりする場合の費用の補助や、その地域内にある医療機関に医師を派遣する病院などに対する支援、それに、勤務や派遣される医師の手当の増額が盛り込まれました。【『診療科偏在』対策】必要とされる診療科が若手の医師から選ばれるよう、処遇の改善などに向けた支援を行い、特に医師が不足する外科については、手厚い評価を行うために別途、議論を行うことが適当だとしています。【その他】中堅やベテランの医師の中で地方での勤務を希望する人がいれば、必要に応じて学び直しを行い、医師が不足する医療機関とのマッチングを支援していくことが適当だとしています。
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