大相撲の元幕内琴恵光(32)=本名・柏谷充隆=が17年間の現役生活を終えた。宮崎県延岡市出身の177センチ、125キロ。けがが絶えない体に武器を身につけ、力士だった祖父の番付を超えた。今後は尾車親方として佐渡ケ嶽部屋で後進を指導する。
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「この体で、本当に精いっぱいやってきた。本当に感謝の気持ちです」
東京・国技館で19日に開いた記者会見で、かみしめるように話した。
昨年11月の九州場所で左ひざを痛め、初めて休場した。リハビリの過程で腰痛が悪化し、しびれが生じた。
「琴恵光らしい相撲を見せることができなくなった」。引退を決意した。
2001年に亡くなった祖父の邦治さんは、松恵山(まつえやま)のしこ名で十両まで昇進した元力士。その名を冠した地元の道場に通い、小学4年でまわしを締めた。
15歳で初土俵を踏んだ当時、94キロ。出世は順調でなかった。
テクニックはあり、親方や兄弟子から教わった技術を実践する器用さもある。しかし、大きな力士の馬力にはかなわない。
「小さな体でどうすれば勝てるか、恵光は常に考え、工夫をしていた」。部屋でしのぎをけずった同学年の荒磯親方(元関脇琴勇輝)はそう振り返る。
食事では、ご飯をラーメン丼にしゃもじで押しつけてよそい、「『まんが日本昔ばなし』に出てくるような山盛り」(荒磯親方)で食べた。
トレーニングでは、「ウォーターバッグ」や「ケトルベル」といった当時は目新しかった器具を探して、採り入れた。
体を大きくするとともに、磨いたのが「しゃくり」の技術だ。
両腕を浅く差した後、体を揺すって相手に密着する。うまく懐に入れれば、大きな力士とも渡り合えた。
14年九州場所で、宮崎県出身力士では32年ぶりの新十両昇進を果たした。18年名古屋場所で新入幕。宮崎では元関脇栃光(入幕時は金城)以来44年ぶりで、祖父の番付も上回った。
引退会見で琴恵光は「(祖父を超えることは)目標だった。うれしかった」と語った。
自己最高の東前頭4枚目まで上げた21年名古屋場所では、結びも経験できた。横綱白鵬に敗れたが、「時間が長く感じた。相撲をやってきて良かった。報われた」と感じられた。
先代師匠(元横綱琴桜)の時代から、佐渡ケ嶽部屋の教えは「けがは稽古で治せ」だ。
「病院に行くな」「休むな」という意味ではない。患部のまわりの筋肉を鍛えることで再発を予防し、けがを乗り越える。
幕下時代に首の骨を折った琴恵光は、それを隠して土俵を務めた。鍛え上げた肩や背中の筋肉で首を守り、頭でぶつかる立ち合いはもろ手に変えた。初土俵からの連続出場は1043回を数えた。
今後は佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)を指導でサポートする。「自分が経験したことを後輩に伝えたい。一人ひとりにあった指導をしてあげたい」(鈴木健輔)
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