「1番、ライト、中島……」
試合前、糸島高校野球部の円陣。主将の山本寛人(3年)は溝口拓朗監督が示したメンバー表を読み上げる。
先発の9人に自分の名前が入ったことは、ない。悔しい気持ちはぐっとこらえ、主将らしい表情を保つ。
自分が主将としてチームを初めての甲子園に導く。こう公言して入部した。実際に昨夏、「誰よりも甲子園への気持ちを持つ情熱の主将」(溝口監督)として主将に選ばれた。
ただ、部員54人のチームでレギュラーの座が遠い。
そんな焦りは、監督と共有する自身の野球ノートにつづってきた。練習帰りの午後8時すぎ、自宅玄関で忘れないうちに一気に書く。数行で終わる日もあれば、700字に及ぶときもある。
悔しい気持ちも率直に書いた。《みんな頑張っているのに僕は何も出来ない》《(最速145キロのエースの)横山が投げて、打ってと大活躍している姿を見るともっと悔しくなった》《打率も背番号も、ホームランの数も誰にも負けたくない》
3月の春季大会、チームは初戦の三池戦を9―2、純真戦を7―0、福岡第一戦を1―0と順調に勝ち進んだ。次戦の強豪・九産大九産戦を控えた前日、ここまで出番のなかった山本はノートにこう書いた。《明日は総力戦となる。僕は代打の準備をしておく》
174センチ、75キロの山本の持ち味はフルスイングだ。瞬発力を意識した筋トレで腕や胸回りを鍛えてきた。代打の役割が多いこともあり、ノートにも《一発でしとめる》などと一球にかける思いを記してきた。
その九産大九産戦、チームは0―1で敗退した。山本は、ベンチから《緊張でガチガチになって、バットを振れなくなってしまう》と味方打線の課題を分析していたが、代打で名前を呼ばれることはなかった。《今、打てるキャラを探しているところで僕が出てこないといけない。絶対に出ないといけない》。悔しさがにじんだ。
この日のノートには主将としての反省点も並んだ。《ベンチの雰囲気は「(チャンスで)ここぞ」と僕がいうべきことを言えていない》《試合のどこかにあるターニングポイントをものにするため、僕が一番声を出す》
試合前にチームに緊張感を持たせる声かけ。公式戦を意識した練習。主将の役割はわかっているつもりだ。昨秋ごろは主将としてレギュラーになれない焦りばかりが募っていたが、今は《プレーで引っ張っていけない分、他のみんなに力を借りないといけない》と仲間に頼る大切さも自覚した。仲間たちも「主将になりたての頃は頑固な部分があったけれど、だんだん周りが見えるようになってきた」と語る。
4月の地区大会3回戦の筑前戦。延長十回裏タイブレーク1死満塁の場面で、山本が代打に呼ばれた。「いつ見てもバットを振っている山本なら」という監督の判断だ。2球目、インコース直球を手元まで呼び込んでから左前にはじき、サヨナラ勝ちに。主将になってから、公式戦で初めての安打だった。《今日学んだことはやはり準備が大事だということ。インコースを(左打席から)逆方向に打つ練習がいきた》《一球の重みを改めて実感できた》。監督も「ようやく結果が出て安心しています。まだまだこれから。満足しない」とノートに書いてくれた。《はい!》と書き加えた。
表紙に「甲子園」と書いた野球ノートは今、7冊目だ。書き始めのころは技術論が多く、やがて、一つ一つのプレーにどんな感情が伴っていたのかを書き記すようになった。「悔しい思いも、うれしい思いも忘れないため」だ。
焦り、反省、喜び、主将としての責任感。この夏、ノートにはどんなことが記されるのだろう。=敬称略(太田悠斗)
ベンチの中、練習帰り、球児たちはそれぞれの理由を持ってペンを握る。29日開幕の福岡大会を前に、彼らの手記から見える、成長をたどった。
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