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 パリオリンピックまであと1カ月。今回取材したのは、バドミントンでオリンピック初出場となる大堀彩選手(27)です。

 12年前の世界ジュニア選手権の表彰台では、金メダルが奥原希望選手(当時17)、銀メダルが山口茜選手(当時15)、大堀選手(当時16)は銅メダルでした。

 長年、奥原選手と山口選手の背中を追い続けてきた大堀選手ですが、ついにオリンピックの切符をつかみました。

■ジュニア時代から立ちはだかる2人

 今年、大堀選手の勢いが止まりません!2月の国際大会で5年ぶりに優勝すると、今月のオリンピック前最後の大会でも優勝を果たしました。 内田さん
「勝ち癖って大事ですよね」 大堀選手
「結果が出なかった時はどうやって勝っていいのか分からない。数年間、長い時間続いていた」 内田さん
「長かったですね」 大堀選手
「少しずつ結果が残せるようになってきて、勝ち癖も付いてきている」

 ジュニア時代から大堀選手の前に立ちはだかっていたのが、一学年上の奥原選手。そして、一学年下の山口選手です。

 そんな2人との差が決定的となったのが、2021年。主要国際大会すべてに派遣されるA代表から、出場機会が半分に減るB代表に1年間降格となりました。

大堀選手
「その時に引退も考えた。今思ってもあの時が一番苦しかった」 内田さん
「僕は最後けががなかなか治らず、よく泣いてた」 大堀選手
「分かります」 内田さん
「夜とかね」 大堀選手
「夜はよくないですね」
「チャンスがなくなった」

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■五輪選考レース…「思わぬ変化」とは

■五輪選考レース…「思わぬ変化」とは

 世界で活躍するチャンスすら与えられない。そんな状況で、試合にどう向き合っていたのでしょうか?

大堀選手
「海外も国内もそうですけど、“これで最後”」 内田さん
「試合に臨む気持ちとかも変わっていきましたか」 大堀選手
「守るもの失うものが全くなくなったので、強気」

 「これが最後の試合」。パリオリンピックの選考レースでもこの覚悟で臨んでいたという大堀選手。しかし、この気持ちこそ、プレーに「思わぬ変化」をもたらしていました。

 顕著に表れたのは、試合後半です。これまでの大堀選手は、後半、あと一歩粘ることがができずにいました。

 「最後の試合」と思うことが、この一歩を大きく変えたというのです。

大堀選手
「今まで取れなかった球が届くようになって、足で踏ん張れるようになった」
「どん底まで行ったから、もうそれ以上に落ちることはなかったので、いい意味で開き直って、もう少し頑張れそう」

 すると去年10月には、アジア大会で銅メダルを獲得するなどオリンピック選考ランクは、半年で15位以上アップしました。

 そして3月、日本代表残り1枠をかけた大一番を迎えます。相手は、僅差で3番手につける奥原選手。勝てば、大堀選手のパリオリンピック代表がほぼ確実なります。 大堀選手
「ここで一騎打ちなんだ。神様が“ここで勝った方を行かせる”」

 第1ゲームを先取された大堀選手。しかし、ここから踏ん張ります。「最後」と思って戦うことが、大堀選手を初のオリンピックへと導いたのです。

内田さん
「運命の一戦だったかもしれない」 大堀選手
「本当に運命。この世代に生まれてずっと超えられず、そこの背中を追いかけてやってきたからこそ、やっと自分がって思うと、すべてのことに意味がある。今までの苦しかった時期とかも本当に神様が見てくれていたんだなと思います」

(「報道ステーション」2024年6月26日放送分より)

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