(第106回全国高校野球選手権富山大会)

連載「頂は見えたか」:1

 「富山の野球は、どうすれば強くなるか。忌憚(きたん)のない意見をお願いします」

 富山市内の宿泊施設で5月24日に開かれた「富山県野球協議会」の総会。司会の伊東与二(ようじ)(70)が参加者の発言を促した。

 社会人や大学から、高校、中学校、小学校まで、県内の野球チームの監督や実務担当者らが年に1回集まり、前年の成績や活動を振り返る。意見交換の貴重な場となっている。

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 協議会の設立は2011年5月。「とやま国体」(00年)を開催し、総合1位の天皇杯に輝いた県は「国体終了後は、県民が注目するスポーツに力を入れたい」と考えた。

 野球も対象となったが結果が出ず、本格強化のためにつくられたのが協議会だった。初年度、県から500万円の補助金もついた。

 設立の中心となったのが、現在は協議会で強化・普及振興部委員長を務める伊東だ。高岡商業高校(高岡市)で1971年の夏、甲子園に出場。卒業後は日本体育大学硬式野球部でも副主将として活躍した。高岡商の監督となり、79年から15年間率いて夏5回、春1回、甲子園へと導いている。県教育委員会のスポーツ・保健課長(当時)なども務め、行政にも明るい。

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 総会の議論で熱を帯びるのは例年、「高校野球」だ。理由ははっきりしている。昨年夏までで105回を数える全国高校野球選手権大会の成績を都道府県別にみると、4強に進出していないのは唯一、富山県勢だけだからだ。

 全都道府県から代表校が出場するようになったのは第60回(78年)大会から。それ以前に富山から出場したチームも合わせて県勢の甲子園での戦績は30勝63敗、勝率は3割2分3厘。勝率は、山形と新潟(3割1分1厘)、北海道(3割1分9厘)に次ぐ低さだ。

 伊東の監督としての甲子園の戦績は夏2勝5敗、春1敗。全国の強豪と対戦しても、選手には「同じ高校生だ。気持ちで負けるな」と鼓舞し続けてきた。

 一方で耳にしたくない言葉も聞く。高校野球指導者が全国にいる日体大同部のOB会長を務め、知己も多い。「富山と当たれば勝てると言われるのが本当に悔しい。『県立だから』『雪国だから』という言い訳は通用しない時代だ」

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 伊東は協議会設立にあたり、ある人物にアドバイザーを依頼する。「誰もが納得する野球界の重鎮」。東京六大学リーグで投手として史上最多の勝ち星を挙げ、オリンピック日本代表監督などを歴任した山中正竹(現・全日本野球協会長)を迎えた。掲げた目標は、第55回大会の富山商業高校(富山市)以来40年近く到達できていない「8強」だった。

 そして13年の夏、甲子園で快進撃を見せるチームが現れる。協議会の強化策と山中の指導は早くも実を結ぶ。=敬称略(前多健吾)

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