富山県野球協議会を設立した2011年以降、富山代表は夏の甲子園で着実に白星を重ねる。

 13年の富山第一の8強に続き、翌14年も富山商が2勝、16年は富山第一が1勝、そして18、19年は高岡商が2年連続で2勝を挙げる。20年までの10年間で計10勝(20年大会は新型コロナウイルス感染症のため中止)。01~10年の計3勝から一変し、「弱い富山」は陰を潜めていた。

 高岡商監督の吉田真(41)が夏の全国で挙げた4勝は、県内の現役監督として最多の白星だ。

 札幌市出身。北海道の進学校・札幌南で00年夏、第82回南北海道大会の7戦を勝ち抜き、全国切符をつかむ。戦前の札幌一中時代以来、61年ぶりの甲子園に道内は沸いた。

 甲子園での1回戦の相手はPL学園(大阪)。楽天イーグルスの監督・今江敏晃ら、のちに複数の選手がプロ野球入りするチームだった。試合開始で整列した時のことをよく記憶している。「体格、威圧感、漂うオーラ。すべてが違った」。吉田は一塁を守っていた。地方大会で打たれなかったエースのインコース高めの球が簡単にとらえられ、三遊間を破られる。0―7で完敗。全国トップレベルを体感した。

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 北海道教育大学に進み、縁あって富山へ。高校時代から「将来も野球に携わっていたい」という思いがあり、高岡商でコーチを経て、13年に監督を任された。

 15年夏に監督として初の甲子園。17年夏にも出場したが、いずれも初戦で敗退した。18年夏の第100回記念大会、好投手の山田龍聖(現・巨人)を擁して再び全国の舞台へ。その直前、協議会のアドバイザーの1人で、NHKの高校野球解説者を務める坂口裕之が同校を訪れ、2日間指導している。坂口は選手たちに、「甲子園では『地方感』のない戦いをしてほしい。高岡商は、全国で堂々と戦えるチームだ」と激励した。

 高岡商は1、2回戦を突破。3回戦の相手は選抜優勝の大阪桐蔭(北大阪)だった。根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・ロッテ)らがそろい「最強世代」と呼ばれていた。

 対戦前、吉田は「正直、ちょっと厳しいかな」と思っていた。しかし、2回に1点を先取。3回に逆転を許したが、選手は一歩も引かなかった。「ベンチに、かなわないという雰囲気は全くなかった」という。あの時の坂口の言葉が選手の心に響いたと思っている。

 1―3で敗れた。大阪桐蔭は春夏連覇を果たすが、吉田は「富山でもトップを狙えるチームができる」と確信する。

 翌夏、高岡商は再び甲子園で2勝したが、またも優勝した履正社(大阪)に敗れた。それでも、2年連続の16強。協議会は「富山代表が頂点を目指せる位置にきた」と新たな強化策を打ち出す。=敬称略(前多健吾)

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