「同じグラウンドだけど、高校のときとはまた違う雰囲気があった」聖地・甲子園でのプロ初登板を、伊藤優輔は落ち着いた様子で振り返った。
ちょうど10年前の2014年春、伊藤は都立の進学校、小山台のエースとして21世紀枠で選抜高校野球に出場した。しかし「一瞬で終わったような感じだった」と振り返るように、1回戦の履正社戦に先発した伊藤は8回を投げて11失点を喫し、早々と聖地を去った。
結局、高校3年間で甲子園出場はその1度きりに終わったが、「甲子園に出ていなかったら大学で野球をやっていなかったかもしれないし、分岐点になった」と、聖地での経験が野球人生を大きく変えたと話す。
◆中央大 社会人野球を経てドラフト4位で巨人入り
高校を卒業して中央大学に進学、選抜出場の実績がスポーツ推薦試験において好材料となり合格に繋がったという。入学後は、甲子園常連校の出身選手たちが集う環境で1年春から登板機会を与えられ、4年時にはエースの座を任せられるまでに成長を遂げた。
その後、社会人野球の強豪「三菱パワー」に進み自己最速を156kmまで伸ばすと、2020年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4巡目指名、晴れてプロ野球選手となった。同時に小山台高出身者として初のプロ野球選手が誕生した。
しかしプロ入り1年目の2021年に右肘を故障して手術を余儀なくされ、育成選手として再契約となった。結局、入団後3年間1軍での登板を果たせないまま、気づけば27歳になっていた。
◆1軍の初舞台は「人生を変えた聖地」
背水の陣で挑んだ今シーズンは、2軍で29試合に登板して防御率0.90。11試合連続無失点を記録していた中で、7月24日に1年ぶりの支配下復帰を果たした。26日から1軍に合流すると、30日の阪神戦で、ついに1軍初登板を果たした。
ようやくたどり着いたプロ野球選手のスタートライン、舞台となったのは10年前に伊藤の野球人生を大きく変えた阪神甲子園球場だ。「ちょうど10年という区切りでもあったので感慨深いものがあった」と振り返るように、特別な思いが詰まった初登板は、1回無安打無失点と堂々のデビューを果たした。
◆「みんなに希望を与えられるような活躍を」
「21世紀枠で甲子園に出られたから、大学・社会人まで野球を続けることができたし、レベルアップすることができた。21世紀枠はいろんな環境の人たちに『希望を与える枠』だと思う。(自分の母校は)なかなか上で野球を続ける人がいない学校ではあるが、みんなに希望を与えられるような活躍をこれからできればいいなと思う。」
聖地での初登板から再び始まった伊藤の野球人生は、様々な環境下で野球に打ち込む全国の球児たちにとって1つの希望になっていく。(取材と文:MBSスポーツ局 林新太郎)
伊藤 優輔(いとう ゆうすけ)
東京都出身
1997年1月14日生(27歳)
小山台高-中央大-三菱パワーー巨人
2020年ドラフト4位入団
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