陸上競技女子初の2種目入賞に、田中希実(24、New Balance)が挑む。田中は21年東京五輪1500mで8位に入賞、昨年の世界陸上ブダペストでは5000mで8位に入賞した。記録も東京五輪準決勝で3分59秒19、世界陸上ブダペスト予選で14分37秒98と、ともに日本新をマーク。5000mはブダペスト後に14分29秒18と更新した。
だが、同一大会で2種目の決勝進出を果たしたことはない。パリ五輪は5000m予選が8月2日、決勝が同5日に実施される。5000m決勝の翌朝(6日)に1500m予選、8日が準決勝、10日が1500m決勝と、かなりのハードスケジュールになる。2種目入賞への壁は高いが、今季の田中は“過去最高”の状態でパリ五輪に臨もうとしている。
2種目入賞者は過去4人、前回は64年東京五輪の円谷幸吉
五輪の陸上競技個人種目で2種目に入賞した選手は、過去に4人しかいない。
南部忠平:1932年ロサンゼルス大会・男子三段跳1位&走幅跳3位
田島直人:1936年ベルリン大会・男子三段跳1位&走幅跳3位
村社講平:1936年ベルリン大会・男子5000m4位&10000m4位
円谷幸吉:1964年東京大会・男子マラソン3位&10000m6位
女子では石津光恵が1932年ロサンゼルス大会・女子円盤投7位&やり投8位になっているが、1976年モントリオール大会までは6位までが入賞と規定されていた。選手層の厚さが現在ほどではなく、特に戦前は参加国数も少なかった。
惜しかったのは21年東京五輪の廣中璃梨佳(23、JP日本郵政グループ)である。5000mに14分52秒84の日本新(当時)で9位に入ると、5日後の10000mで7位(31分00秒71)に入賞した。5000mであと1つ順位が良ければ、女子初の五輪2種目入賞を実現させていたことになる。田中がパリ五輪で2種目入賞を達成すれば60年ぶり5人目、女子では史上初の快挙になる。
21年東京五輪から22年世界陸上オレゴン、23年世界陸上ブダペスト
女子800mは1928年アムステルダム大会で、人見絹枝が銀メダルを獲得したが、人見は短距離と跳躍の選手だった。100mで準決勝落ちした後に、いきなり800mに出場した。そのレースのフィニッシュ後に多くの選手が倒れ込み、女子800mは1960年ローマ大会で再開されるまで実施されなかった。
以後1500m(1972年)、3000m(1984年、96年から5000m)、マラソン(1984年)、400mハードル(1984年)、10000m(1988年)、三段跳(1996年)、棒高跳(2000年)、ハンマー投(2000年)、3000m障害(2008年)と女子種目が開始され、男子35km競歩がなくなるパリ五輪は男女の種目数が同じになった(ハードルの高さやハードル間の距離などは違う)。日本勢では唯一出場したことがなかった女子三段跳に、今回森本麻里子(29、オリコ)が初めてエントリーした。
女子1500mも21年東京五輪まで、日本選手が一度も出場できなかった種目である。3年前、21歳の田中は日本人初出場でいきなり8位入賞という快挙を達成した(5000mは予選落ち)。前年の20年に4分05秒27の日本新をマークしたが、東京五輪準決勝で3分59秒19まで縮め、日本人には不可能と言われた4分の壁を破ってみせた。
しかし一気にステージが上がった選手は、その後苦しむことも多い。田中もそのパターンに陥った。練習では東京五輪の頃より積めているはずなのに、1500mは昨年まで自身の記録に近づくこともできなかった。22年の世界陸上オレゴンは800mも含め、世界陸上日本人初の個人3種目出場を果たした。“挑戦する気持ち”を前面に出すことも目的だったという。
だがオレゴンの結果(800m予選落ち、1500m準決勝落ち、5000m11位)に、田中は納得がいかなかった。父親の田中健智コーチが指導する形は同じだったが、大学を卒業して22年から生活と練習のリズムが変わったことも影響したかもしれない。
しかし昨年の世界陸上ブダペストは、先に行われた1500mは準決勝落ちに終わったが、5000mは予選で14分37秒98の日本新をマークし、決勝は8位に入賞した。
3シーズンの間に2種目の入賞を経験し、記録も世界レベルに達している。あとは同じ大会の2種目で、しっかり力を発揮できるかどうか、だ。
スピード練習よりも「泥くさい練習」
田中はレースに多く出場しながら、夏の世界大会にピークを持っていく。田中自身に悲観的に振り返る傾向もあり、失敗と位置付けるレースも多い。今季もパリ五輪代表内定を決めたかった5月10日のDLドーハ大会で失敗(15分11秒21で11位)したときは、大きく落胆したという。
だが5月25日のDLユージーン大会で14分47秒69をマークしてパリ五輪代表を内定させると、同30日のDLオスロ大会3000mで8分34秒09の日本新。3000mは五輪種目ではないがDLでは行われる頻度が高く、田中のタイムは世界リストの順位も高かった。そして6月2日のDLストックホルム大会1500mで4分02秒98と自己4番目、東京五輪の3レース以外では自己最高記録で走った。
ストックホルム翌日に田中健智コーチは、「5月末から6月この時期としては過去最高の状態」と話していた。しかし記録は良くても着順が良くなかった。ユージーン11位、オスロ10位、ストックホルム9位で、8位以内を取ることができていなかった。
「着順がよくないのは、レースの流れにぶら下がる練習しかしていないからです。今のところ(タイム的には)手応えがあるので、着をとるトレーニングを行っていけば展望が開けると思います」
着順を取るためにはラストスパートが重要になり、その強化にはスピード練習が必要と考えるのが一般的かもしれない。だが田中の場合は、スタミナを付けることがラストの強化につながると田中コーチ。
「田中の場合は200mだけを走っても27~28秒なのですが、スタミナを上げられれば、レースの最後200mを同じくらいのタイムで走ることができるんです。心身のスタミナを手に入れられたら最大限のスピードを出せる」
それがケニアで行う「泥くさい練習」である。1500mの成績が良いときも、5000mの練習を行いながら出場したときが多い。ストックホルム大会後に慣例となってきたケニア合宿を行い、予定していた練習を行うことができた。6月末の日本選手権1500mでは4分01秒44と、自己3番目のタイムで優勝。東京五輪で出した日本記録に約2秒と迫った。
そしてパリ五輪前最後の試合として、7月12日にDLモナコ大会5000mに出場。3位(14分40秒86)は昨年のDLブリュッセル大会と同じ、DL自身最高順位だった。またラスト1周は61秒2で、昨年の世界陸上ブダペスト8位入賞時とほとんど同じタイムである。
田中の本番での強さを考えると、5000mで入賞する確率は高いだろう。そうなると課題は1500m。5000m決勝と、翌朝の1500m予選のインターバルは約12時間半。ハードスケジュールだが泥くさい練習は、ラストスパートだけでなく連戦にも効果があることを期待したい。
パリは100年前の1924年にも五輪を開催した都市。織田幹雄が男子三段跳6位と、日本の陸上競技選手初の入賞を達成した(織田は4年後のアムステルダム五輪で、全競技を通じての日本選手初の金メダリストに)。田中が女子陸上競技初の2種目入賞の偉業に挑戦するに相応しい場所だ。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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