人類最速を決める男子100mで、サニブラウン・アブデル・ハキーム(25、東レ)が日本人92年ぶりの快挙を成し遂げようとしている。
8月3日は予選が行われ4組のサニブラウンは10秒02で2位。予選全体で8番目のタイムで通過した。4日に準決勝と決勝が行われ、決勝に進めば1932年ロサンゼルスオリンピック™6位(10秒8。当時は10分の1秒単位で計測した手動計時)の吉岡隆徳以来、92年ぶりの日本人ファイナリストが誕生する。
歴史的な快挙を前にしてもサニブラウンは、日本の枠組みではなく、世界のトップを狙うスタンスで最速男決定レースに臨もうとしている。

日本人五輪最速タイムに興味なし

予選のレース直後のテレビ・インタビューでのことだった。4組2位で通過したサニブラウンの10秒02というタイムが、五輪で日本選手が出した過去最速記録(従来は10秒05)であることの感想を求められた。

「何も考えてないです。はい」

あえて素っ気ない答え方をしたように見えた。“日本人として一番”という価値観に、少しでも満足したくないのだろう。

4日の準決勝への抱負を問われたときも、同様の考え方で答えていた。

「準決勝はみんなが全力で走ると思います。そこでプレッシャーを感じないで自分の走りができれば、決勝に行けると思っています。落ち着いてしっかりコンディショニングしていければ」

つまり準決勝を戦うことを特別とは考えない。

しかしサニブラウンは「今日は楽々、明日は戦争」という言い方もしている。そのくらい厳しい戦いになる準決勝以降は、100%の力を出さないといけないが、絶対に硬くなったり力んだりしたらいけない、ということを意味している。

サニブラウンは高いと思われる記録的な目標も、自然体で口にする選手だ。3月のTBSの取材に対し次のように答えていたことがあった。

「パリ五輪の目標は金メダルですね。妥協案がメダルです」

サニブラウンの意識の中に、日本人92年ぶりという言葉は存在しない。

準決勝突破ラインは10秒00、メダルラインは9秒90

とはいえ観戦する立場としては準決勝を突破するために、そしてメダルを取るために、どのくらいのタイムが必要なのか知っておく必要がある。過去3シーズンの世界一を決めた大会の記録レベルを調べてみた。

※タイムは左から21年東京五輪、22年世界陸上、23年世界陸上
準決勝8番目 10秒00(-0.2) 10秒06(-0.1) 10秒01(+0.3)
準決勝トップ 9秒83(+0.9)9秒90(-0.1)9秒87(+0.3)
決勝3位 9秒89(+0.1)9秒88(-0.1)9秒88(±0)
決勝1位 9秒80(+0.1)9秒86(-0.1)9秒83(±0)

サニブラウンは22年世界陸上オレゴン、23年世界陸上ブダペストと連続で決勝を走ってきた。オレゴンの準決勝は10秒05(+0.3)で全体7番目、決勝も7位(10秒06・-0.1)だった。23年ブダペストの準決勝は9秒97(+0.3)で全体6番目、決勝も6位(10秒04・±0)だった。

風などの気象コンディションにも左右されるが、準決勝では10秒00前後の記録が決勝進出に必要となる。サニブラウンは9秒9台後半を出して、確実に決勝に駒を進めたい。できれば9秒9台前半の日本記録を出し、決勝の走りやすいシードレーン(3~6レーン)を取りたい。

そして決勝では、世界陸上2大会で出せなかった9秒台を出せば5位以内もある。だがメダルとなると、上の表のように9秒8台が必要になる。サニブラウンが目指しているのはそのレベルの記録になる。

予選は前半から1~2位争いをしていた。課題としていたスタート2歩目の動きの修正が、かなり上手くできていたことを示している。テレビ・インタビューの後の取材でも、レース内容については高く自己評価していた。9秒8台も少しの期待を持って観戦していいだろう。

五輪100m決勝を走る日本人を目撃できる幸福感

世界一を決める舞台で、日本人が当たり前のように9秒台で走る。ひと昔前には想像できなかったことが、2024年を生きる我々は目にすることができる。五輪で日本選手の9秒台のタイムを見られると思うだけでワクワクする。100mとはそういう種目である。

だが一番味わいたいのは日本人が決勝を走る雰囲気だ。
準決勝もすごいが、決勝は100m特有のピリピリした空気感に包まれる。スタンドの観客だけでなく、テレビの前で観戦する視聴者も、その雰囲気を感じることでスポーツの醍醐味を味わうことができるのだ。

日本時間の5日午前3:05に準決勝が、4:50に決勝が行われる。2時間弱の最速決定戦ドラマを、全世界が固唾をのんで見守るだろう。その舞台を92年ぶりに走る日本人は、笑顔を見せるのだろか。それとも強張った表情を見せるのだろうか。サニブラウンはどう演じ切るのだろう。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

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