全寮制の大阪桐蔭の寮長は、高級ホテルの洋食コックを13年、長距離トラック運転手を20年勤めた異色の経歴の持ち主だ。昨年冬に就任した。

 夜6時、選手たちが食堂の厨房(ちゅうぼう)前に並び始める。「おかえり」。寮長の松永靖さん(56)は皿に総菜をよそい、手渡していく。

 食事に掃除、洗濯、壊れた機械の修理。時には病院の付き添いまで、住み込みで寮にまつわる仕事をこなす。

 直前まで勤めていたトラック運転手は「おもろなかった」。自身は中学までソフトボール選手で、成人してからも地元のチームに約20年所属していた。3人の息子は全員球児。野球に携わる仕事がしたいと、ずっと願っていた。

 機会は突然訪れた。

 中学生の三男と大阪桐蔭の石田寿也コーチの長男は同じクラブチームに所属していた。パパ友の石田コーチから昨秋、「こんな求人があるんですけど……」と、出来たての求人票を手渡された。長年勤めていた寮長が定年退職をしたという。

 「人生はチャレンジ」がモットー。最後のチャンスだと思った。「やらせてください」

 昨年11月、採用が決まった。

 なぜ松永さんに声をかけたのか。石田コーチには忘れられない出来事がある。

 息子を迎えに来たある日、たまたま松永さんと立ち話をした。子どもの野球人口が減るなかで、夢に向かえる環境をどう充実させられるか。サポートはどうすべきか。熱い思いを交わし、気付けば2時間が経っていた。石田コーチは「野球への情熱があり、球児の親なので理解もある。さらに料理も運転もできる方だったので」と振り返る。

 だが松永さんが寮長になった当初、選手は少し警戒しているように見えた。「まずは胃袋をつかもう」

 寮では管理栄養士が作ったご飯が提供されるが、選手が食べる頃には冷めていた。食事は寮生活の楽しみの一つ。温かいごはんがあれば会話も弾むと考えた。

 ご飯を温め直すことに加えて、限られた予算のなかでサイドメニューを作った。グラタンやみそ汁、ワッフルにフレンチトースト。疲労回復や免疫力を上げる具材を使い、メニューに工夫をこらした。選手が「寮長先生の中華スープ、ばりうまいっす」と伝えてくれたり、食べながらグッドポーズを出してくれたりするようになった。

 自分の子どもと接するように、たわいのない会話もたくさんする。練習試合を見に行けば「あれ捕れたんちゃう」とつつき、「言わんとってくださいよ」と返される。真剣な相談もされる。先生でも友人でもない、「お父さん」的な感覚でなんでも話すうちに、冬が明ける頃には選手が入れ代わり立ち代わりで自室に遊びにくるようになった。

 よく部屋に遊びにいくという杉本一世捕手(3年)は「めちゃくちゃ面白くて寮の雰囲気が明るくなった。寮長先生のサイドメニューがうますぎて、集合時間の10分前に行って取るようになった」と話す。

 松永さんは今夏の大阪大会のほぼ全試合、スタンドで応援した。普段はぽやっとしている選手が、マウンドに上がれば迫力ある投球をする。寮では「ふつう」の高校生が、グラウンドでは野球がうまくてかっこいい選手になる。その裏には、日本一を目指して長時間練習の後も、朝食前も、バットを振り込む姿があることをよく知っている。

 「選手が野球で日本一を目指すなら、寮も日本一になりたい」

 今年の夏は2回戦で終わってしまった。正直、もっと長く見ていたかった。すぐに退寮する3年もいる。「ええ子ばっかりやった」から、寂しさは尽きない。

 でも、寮作りは始まったばかり。毎日野球を頑張る選手たちがリラックスして充電できる空間に、保護者が安心して預けられる場所に。選手といっしょにこれからも上を目指す。(西晃奈)

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