あの日から79年。今年はオリンピックも開かれました。なかには特別な思いを胸に出場した選手もいました。

■「当たり前じゃない」卓球・早田の言葉

 16日間の激闘を終えた平和の祭典「オリンピック」。ただ、その一方で続く戦争。どちらもこの世界で起きている出来事です。

 13日、パリから帰国した卓球女子日本代表の早田ひな選手(24)の発言が注目を集めています。

卓球女子団体銀 女子シングルス銅 早田ひな
「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、そして自分が卓球をこうやって当たり前にできていることが当たり前じゃないっていうのを感じたいなと思って」

 早田選手が投げ掛ける「当たり前ではない」という言葉。オリンピックの歴史を振り返ると、戦争によって「当たり前」が奪われてきたことは幾度となくありました。

 一度は1940年に開催が決定していた幻の東京オリンピック。日中戦争の本格化や第2次世界大戦の始まりにより、大会は中止に追い込まれました。

 1943年、東京オリンピックで使用する予定だった神宮外苑で行われたのは、学生を戦地に送り込む「学徒出陣」の壮行会でした。

 敵の戦艦に飛行機ごと突っ込む「特攻」。この無謀な作戦で多くの若者が命を落としました。

 早田選手が訪問を望む鹿児島県旧知覧町。市が運営する平和会館には特攻作戦で死んでいった若者たちの遺書などが展示されています。

23歳で戦死 佐藤新平少尉
「思えば、幼いころから随分と心配ばかしお掛けしましたね。腕白(わんぱく)をしたり、また、何時(いつ)も不平ばかし言ったり、眼を閉じると子どものころのことが不思議なくらいありありと頭に浮かんで参ります。ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかったことだけ残念です」

23歳で戦死 穴澤利夫大尉
「婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。『あなたの幸せを願う以外に何物もない』『勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面(しんかつめん)を見いだすこと』。智恵子、会ひ度い、話し度い、無性に」

 好きなことを追求すること、ましてや生きることが当たり前ではない時代。

■“戦禍の母国”に捧げた金メダル

 過去の話ではありません。女子走り高跳びで金メダルを獲得したウクライナ代表のヤロスラワ・マフチフ選手(22)。

女子走り高跳び金 ヤロスラワ・マフチフ
「私は世界が一つになってほしいと思っています。ウクライナ人が母国のために戦い続けていることを、この金メダルで伝えることが私の使命です」

 ウクライナでは、ロシアとの戦争で500人近くのスポーツ選手が死亡したと報じられています。

 ウクライナ代表のマフチフ選手は賞金の一部を母国で戦う兵士に寄付するということです。

 大会が行われる裏でも続いたウクライナ、そしてガザへの攻撃。パレスチナの代表選手は、こう口にします。

競泳 パレスチナ代表 ヤザン・バウワブ
「皆と同じように扱われたい。特別なことは何も求めない。私たちはただ人間でありたいだけなのだということを世界に知ってほしい」

 平和の祭典「オリンピック」。平和を維持するのも壊すのも私たち次第です。

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