1打席のために積み重ねてきた
9回、2アウト一塁二塁、1点差。代打を告げられた神村学園の玉城功大選手に緊張はありませんでした。
「ああ、やっと来たな。ここで来るか」
甲子園で迎えた、初めての打席。それでも、この1打席のために準備を積み重ねてきました。
玉城選手は「不動の4番」正林輝大選手と同じ外野手。
正確な打撃が持ち味で、正林選手がコンディション不良でチームを離れていた時期には代わりに4番を任されるほどでした。
しかし、激しいレギュラー争いの中でこの夏の鹿児島大会で打席に立ったのは1試合だけ。甲子園でもチームがベスト4へと勝ち進む中で、なかなか出番は回ってきませんでした。
神村学園 玉城功大選手
「チームが勝つのはうれしかったですが、自分のなかでは悔しさが強かったです。その悔しさを押し殺さないといけない苦しさがありました」
そんな葛藤を抱えながらも、玉城選手は「2桁の背番号の自分が、勝つために必要な場面がくる」と、前を向くことをやめませんでした。
ふだんから朝はほかの選手よりも30分以上、早く起き、練習後はほかの選手より30分遅く残ってバットを振り続けてきた、練習の虫。
その姿勢は大会中も変わらず、チームの雑用をこなす合間を縫って素振りを続けていました。
その姿に「ここ一番の場面で絶対にお前を使う」と告げていた小田大介監督は、一打同点の場面を玉城選手に託しました。
神村学園 玉城功大選手
「ここまで準備してきたものをすべて出すだけだ」
そう考え、打席に立った玉城選手は相手のエース、坂井遼投手の5球目を見事にセンター前にはじき返したのです。
あと30cmでも前だったら
この場面、二塁ランナーだった岩下吏玖選手は左肩に痛みを抱えていて、痛み止めを飲みながらの出場でした。
19日の準々決勝でヘッドスライディングをした際に左肩を痛め「ヘッドスライディングはしないほうがいい」と医師に言われていました。
それでも「どんな打球でもここはホームへ帰ってやる」と考えていた岩下選手。
相手の守備位置を見ながら、ふだんより大きめにリードをとり、玉城選手がバットを振った瞬間にみずから「完璧だった」と振り返るほどのスタートを切り、ホームへ突っ込みます。
しかし、相手のセンターが好返球。
岩下選手は迷うことなくヘッドスライディングで飛び込みましたが、わずかな差でタッチアウトでした。
突っ伏したまま、しばらく動かなかった岩下選手。
一塁ベース上の玉城選手は泣き崩れていました。
それでも試合後、1打席にかけてきた玉城選手は、どこかすがすがしい表情に見えました。
神村学園 玉城功大選手
「相手のバックホームがドンピシャだったのでしかたありません。岩下はけがを気にせず、ヘッドスライディングで帰ってきてくれてうれしかった」
岩下選手は「あそこまでやってゲームセットになったら悔いはありません」と話した上で、こう続けました。
神村学園 岩下吏玖選手
「自分があと30センチでも前へ、0.01秒でも早く判断してスタートを切っていれば変わっていたかもしれない。この悔しさを目の前で今の2年生が感じてくれて、この1秒で負けたということを思い出して成長してくれるなら、この負けはむだにならないかなと思います」
努力を積み重ね、ベストを尽くし、それでもわずかに届かなかった、最後のワンプレー。
悲願の初優勝を目指す神村学園の後輩たちにとって何より大きな財産となっていくはずです。
【詳しくはこちら】神村学園×関東第一
【NHK特設サイト】夏の甲子園2024
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