3年前 東京大会は“まさかの事態”が

34歳の時に難病を発症した伊藤選手は、アテネ大会から4大会に出場し、複数の種目でメダルを獲得、“車いすの鉄人”と呼ばれています。

しかし、3年前の東京パラリンピックで伊藤選手を思わぬ事態が襲いました。

東京パラ前に まさかのクラス分け(2021年8月)

パラアスリートは、障害の種類や程度が異なる選手が公平に競い合うため、国際大会に合わせてクラス分けを行っています。

伊藤選手は、メダルを期待された男子400メートル直前のクラス分けで従来のクラスではなく、より障害が軽いクラスと判定され、東京大会は予選敗退に終わりました。

伊藤選手は、当時を振り返って…

「ことばにできなかった。つらいとか悔しいとか苦しいとか。完全にメンタルが壊れたし、地獄の3年間だった」

「諦めようか」

そんな心境になりかけたこともあったといいますが、とにかく支えてくれた人たちが「諦めなかった」と、周囲の支えで伊藤選手は、再びパラリンピックの舞台を目指すようになりました。

フォームの改造も

まず取り組んだのが、25年間、ほとんど変えたことがなかったというフォームの改造でした。

今まで使ったこなかった筋肉を最大限に生かそうと、前傾した姿勢を保つフォームに変えることにしたのです。

病気の進行でまひが大きくなった左半身をカバーしようと、背中や胸などの筋肉を徹底的に鍛えた結果、61歳にして東京大会の時より胸囲は4センチほど大きくなりました。

これまで多くを頼っていた腕の力だけでなく、体全体を使って力強くレーサーをこぐことができるようになったといいます。

新たなフォームで手応えを感じ、迎えたパリ大会。

しかし、大粒の雨が降り、気温は20度ほどと寒さで体が思うように動かなかったという伊藤選手。新たなフォームで走ることはほとんどできませんでした。

それでも、粘りの走りで銅メダルを獲得し「地獄の3年間だったが、その間に積み重ねた友情や技術など、いろいろな意味で成長できた3年間でもあった。こうやって振り返れば、またこの舞台に戻ってこられて本当によかった」と充実した表情で話しました。

(右)伊藤選手

パリ大会を終えた伊藤選手が見据えるのは、65歳で迎えるロサンゼルスで開かれる4年後のパラリンピック。

「これから4年間も駆け抜ける」という“鉄人”の挑戦は続きます。

【詳しくはこちら】陸上 佐藤友祈が銀 伊藤智也が銅 男子400m車いす

【NHKニュース】パリパラリンピック2024

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