千代の富士(右)、北勝海(左)の2横綱を育てた北の富士勝昭さん(当時は九重親方)=1987年5月、東京都墨田区の九重部屋

 名横綱にして、希代の名解説者が逝った。甘いマスクに長い脚を生かした外掛けなどの勝ちっぷり。北の富士勝昭さんにはとにかく華があった。

 放送席で渋い和服やダンディーなスーツを着こなし、力士や親方衆へ時に厳しく、時に優しくメッセージを送った。歯切れいい口調は70歳を超えても若々しく、角界のご意見番であり続けた。

 北海道旭川市から14歳で上京。スピードあふれる取り口が開花し、1970年初場所後に27歳で最高位に立つ。74年名古屋場所を最後に32歳で引退するまで賜杯を10度抱いた。横綱に同時昇進し「北玉時代」を築いた好敵手の玉の海が71年に急死。喪失感に耐え、そこから3年近く土俵を務めた。

 引退後は親方として千代の富士、北勝海の2横綱を輩出。日本相撲協会では初代広報部長として活躍した。頭の回転が速く、陽気で豪快な性格。何をしても絵になった。(共同通信)

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