パラ陸上競技やり投げで61m24と日本記録保持者の高橋俊也(25、トヨタ自動車)がパリ2024パラリンピックでのメダル獲得を目指す。かつては右腕に障害がありながら夏の甲子園出場を果たした球児として注目されていた。夢を叶えた不屈の努力は競技を変え、パラ陸上のやり投げでその真価を発揮している。17日から開幕する神戸2024世界パラ陸上で上位2人入賞で与えられるパリパラリンピック内定を目指す。

健常者と同じ様に接した父の教え

高橋は3歳の頃に脊髄炎の病気で、最初は右半身、首から下の右半身の自由を失ったが数時間後に奇跡的に右足だけ自由が戻って、右腕だけ障害が残った。困難な境遇と思われる息子に父親は健常者と同じように接していったという。『自分のことは自分でしなさい』『障害があるからって関係ない』と日頃、言われ続けてきた事が今でもずっと心の中にある、父親からの教えでもある。

3歳の頃に脊髄炎の影響で右腕に障害が残る


高橋俊也:
正直その時に、例えば優しくして貰って、普通にスポーツもせずに普通の暮らしをしているのを考えるとやっぱり、こうやって健常者と同じように接して、父親が接してくれたっていうのは本当にありがたい事です。今があるのも本当にそのおかげだと思ってるので、本当に感謝はしてますね。

“グラブスイッチ”で叶えた甲子園出場の夢

父親が少年野球の監督をしていた事もあって、当初は手を引かれて、連れて行かれたのが野球との出逢いだった。

努力で培った野球における“グラブスイッチ”

高橋:
小学校2年生の時に、最初は<左腕で取って、クラブ外して左で投げる>という“グラブスイッチ”を1年間家の前で練習して、3年生から正式に少年野球のチームに入ったっていう感じですかね。

『健常者の10倍以上努力しよう』

徹底的に親子で野球と向き合った。
高橋:
父親に言われた言葉で『健常者の10倍以上努力しよう』という言葉をかけられて。本当にそれを体現しようと思って、父親に認められたい想いと見返したい…その思いを胸に秘めて、ずっと素振りだったりとか、日々の練習も、健常者以上に頑張りましたね。

そして、その努力で野球少年が夢を叶える。鳥取県立境高校3年時に夏の甲子園出場を果たしたのだ。

高橋:
本当に、忘れられない一瞬でしたし、父親と会ってから約10年間本当に片腕で野球を続けてきてよかったなって改めて思いましたね。

夢舞台がつないだパラリンピックへの新しい夢

その夢舞台が新たな夢へのきっかけとなった。進路について悩んでいた所、高橋の甲子園での勇姿をテレビで観た日本福祉大学の陸上競技部・三井利仁監督から高校に電話が来たという。それは『パラリンピックを目指さないか』という誘いでした。

高橋:
最初電話を受けた時は、結構嬉しかった気持ちが大きくて。本当に夢も進学先もなかったので、新しいパラリンピックっていう夢を与えてくれたっていう面では、本当に嬉しかったのを覚えてますね…最初は100m、結構足にも自信があったので100mやらないかっていう最初言われたんですけど、やっぱり100mよりかはやり投げのほうが世界で戦える可能性が高いということもあって、やり投げを選びましたね。

右腕が使えない分、自分の投げ方を模索する

右腕が使えない分、自分の投げ方を模索する。

高橋:
(本来、右腕は)体を開かないようにする時に、開かなくするときに我慢したりとか。こっち(右腕)を強く引いて体の回転を速くしたりとか、そういう面では本当にすごい大事な、投げない腕もすごい大事になりますね…右腕が使えない分、なんていうんですかね。頭の使い方だったりとか、目線の使い方だったりとかをちょっと工夫して、自分のオリジナルの投げ方とか、感覚というものを養ってますね…(やり投は)周りから見るとなんか本気で走って思いっきり投げてるっていうイメージがあるかもしれないですけど、その一瞬の中でもいろいろ技術であったりとか、意識っていうものがあるので、どれだけ無駄なく軽い力で飛ばすかっていうのがすごい大事な競技なので、すごい繊細な競技だなっていうイメージがありますね。

野球で培った努力する姿勢と強肩も後押しした。

高橋:
技術というよりはやっぱり練習に取り組む姿勢だったりとか、そういうのは本当に野球の時代から変わってなくて。厳しい、やっぱり陸上は野球と違って細かい練習だったりとか、嫌になる練習、基礎的な練習がほとんどなので、そこで逃げ出したくなる時に、やっぱり父親の教えであったりとか、野球時代の経験が生きてると思います。

片腕を鍛えるトレーニング

競技歴わずか5年で日本記録を樹立する。次なる夢への扉を実感した。

高橋:
やり投げと出会って本当に人生が変わって、一言で言うと本当に感謝してますね。野球を始めた頃っていうのは甲子園っていうのが一番の目標で、そこをクリアして結構燃え尽きてたっていうか、新しい目標はなかったんですけど、やり投げと出会って、パラリンピックっていう、出場する可能性があるっていう事だけでも本当に頑張れる目標にもなってますしきっかけにもなっているので、そういう面では本当に感謝してる感じです。

新たに見つけた夢舞台へ

まずは17日から開幕する神戸2024世界パラ陸上で上位2人入賞で与えられるパリパラリンピック内定を目指す。

「やり投げと出会って本当に人生が変わって、本当に感謝してますね」


高橋:
本当にパリパラリンピックっていうものまでに、本当に自分の一番の投擲を出来るように、残りの期間、頑張っていきたいと思います。(世界パラ陸上では)自分の日本記録を1センチでも更新する事を目標に掲げていけば結果的にメダルも見えてくる距離になってくるので。順位を意識しすぎるがあまり、硬くなって自分の力が発揮できないっていうことはないように、まずは自分の記録を1センチでも更新するっていうのを目標に頑張っていきたいと思います。

高橋峻也(たかはし・しゅんや)

1998年7月2日生 鳥取県出身 鳥取県立境高~日本福祉大学~トヨタ自動車
小学2年から取り組んだ野球では右腕の障害もグラブを持ち帰る“グラブスイッチ”で球児の夢舞台、夏の甲子園出場を果たす。卒業後、パラ陸上競技・やり投に転向し、競技歴わずか5年で61m24の日本記録保持者となる。趣味は車のドライブ。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。