1周250メートルのトラックを使って行われる自転車競技。短距離個人種目は、1対1で競う「スプリント」、そして最大7人で順位を競う日本発祥の「ケイリン」があります。この競技でいきなり現れたスーパースター・太田海也選手(24)に、松岡修造さんが話を聞きました。
■自転車競技歴2年半 これまで何を?
太田選手「昔からコツコツやるとか、一つのことを継続して小さなことを大切に思うことができない人間で。この3年ぐらい出会ってきた人。偶然じゃないんじゃないかなって思うような出会いばかりですね」 そう語る太田選手は今年3月、パリオリンピックを前に世界にその名を知らしめました。世界のトップが集まった国際大会で、世界ランキング1位を含む強豪選手たちを一気に抜き去り、スプリントとケイリンの2種目で金メダルに輝いたのです。
実は太田選手、自転車競技歴はわずか2年半。突如現れた新星は、これまで何をしていたのでしょうか?
太田選手「高校でボート競技、ローイングに出会って。オリンピックを狙って」 松岡さん
「オリンピック行こうとした?」 太田選手
「ボートで。日本人で初めてのオリンピックのメダルを取るというのには、すごくロマンがありました」
高校時代、ボート競技でインターハイ優勝を成し遂げ、東京オリンピック出場を目指していた太田選手。意気揚々と上京しましたが、レベルの高さを痛感し、たった7カ月で挫折。大学も中退してしまい、地元・岡山に戻ることにしました。
松岡さん「よく岡山に帰りましたね」 太田選手
「そこが自分の最大の壁でした。実家には帰れなくて、申し訳なさもあって」 松岡さん
「すごく厳しい言い方をすると、逃げた感じがします」 太田選手
「そうですね…自分もそう思います。友達1人くらいにしか連絡できなくて。そこから、その友達から仕事をもらって」 松岡さん
「仕事はなんですか?」 太田選手
「現場仕事で、家の内装を造ったりする」 松岡さん
「全然オリンピックと違うじゃないですか」 太田選手
「そうなんですよ。挫折して帰ってきたので、こんなはずじゃないのになとか。毎日、自分が輝ける場所を探していました」
夢破れても、またどこかで輝けると信じ、過ごす日々。一体、自転車とはどうやって出会うことになるのでしょうか?
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■130万円の自転車欲しさに…ショップへ就職■130万円の自転車欲しさに…ショップへ就職
太田選手「日雇いの仕事は、日々現場が変わるので。県内なら自転車でどこでも現場に行けるぞと思って」 松岡さん
「自転車があれば、どんどん仕事ができるぞって?」 太田選手
「どんどん仕事できるし、どんなところでも行けるし、朝早くても行ける。自転車ショップに行った時に、そこにある自転車で一番良いの飾ってあって。これ買わないとダメじゃんと思っちゃって」 松岡さん
「いくらくらい?」 太田選手
「130万円くらい」 松岡さん
「…おぉっ!」 太田選手
「『この自転車欲しいです』って店長に言ったら。(店長が)『うちのお店で働きながらお金を返していけばいいじゃん』って言ってくれて。それ最高じゃんと思って、即行で食い気味で、『はい、お願いします!いつ面接ですか?』みたいな感じで行きました」
なんと、自転車欲しさに即決。そして、このお店との出会いが自転車競技へのトビラを開いていくのです。
太田選手「数週間経った時に、『太田くんの身体だったらレース出たら楽しいと思うよ』って言われて」 松岡さん
「レース?」 太田選手
「ロードレース(一般公道を使って行う自転車競技の一種)っていう普通の道を走るレースで。ルールも分からないし、走り方もその時まだ全然分からなくて。よーいドンで60キロ全開で走り続けたら…1位でゴールして」 松岡さん
「優勝しちゃった?」 太田選手
「優勝したらしたで、さらに楽しくなっちゃって。もう1つ、自分が輝ける場所に行きたいなって。プロの選手になるって決めて」
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■養成所で大きな出会い「正解の場所」■養成所で大きな出会い「正解の場所」
ついに「輝ける場所」を見つけた太田選手。プロの競輪選手を目指し、なんと養成所に入ることを決意。再び厳しい世界に身を置く前に、どうしても決着しなくてはいけないことがありました。
太田選手「その時に、初めて親に謝りに行って」 松岡さん
「遅――い!!(笑)」 太田選手
「『本当にごめんなさい』って言って。そしたら親は、自分が思ってる以上に温かくというか。待っていたくらいの感じで謝罪を受け入れてくれたのは覚えてます」 松岡さん
「ボートや他の競技と違って、絶対にやり切るって自分の中であったんですか?」 太田選手
「今まで自分の中に芽生えたことのない感情っていうのが生まれて。何があってもこの世界を諦めないみたいな、すごい強い意志があって」
毎年、全国からおよそ100人が集まり、訓練を行う養成所。そこで太田選手は秘めていた才能が爆発。飛び抜けた成績が噂を呼び、また大きな出会いを引き寄せます。それが、自転車競技の日本代表を率いるコーチたちでした。
日本代表 ブノワヘッドコーチ「養成所で見たタイムトライアルで海也はベストタイムを出した。『この選手は一体誰なんだ?』と驚かされた」 日本代表 ジェイソンコーチ
「体つきを見て才能の持ち主だと分かった。もちろん走り方や細かい点はまだまだだったが、身体能力がピカイチだった」
ポテンシャルの高さを買われ、異例の大抜擢。入所から8カ月というはやさで、日本代表入りを果たしたのです。
ボート競技で培ってきた強靭な身体。もう二度と諦めまいと、自転車競技へ強い意志を貫いてきた太田選手。12日に行われた国際大会では、オリンピックメダリストを抜いて見事優勝し、今一番の輝きを放とうとしています。
太田選手「いろんな過去、いろんな失敗がありますけど。自転車の簡単な構成や理論は働いていた時に触ったので、自転車屋で働いた経験も、ここに来てすべて意味があったように感じる。僕は、ここが正解の場所だと思いますね」 松岡さん
「パリ五輪で何をつかみに行きたいですか?」 太田選手
「パリでメダルを取りたいという気持ちは自分の中ではすごく強くあって。まさに自分が輝く瞬間を準備しているので、輝く瞬間を見てもらいたいっていう気持ちはあります」
(「報道ステーション」2024年5月13日放送分より)
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