ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤被害の象徴といわれた結合双生児の「ベトちゃんとドクちゃん」。世界中の注目を浴びた分離手術から35年余り。弟のグエン・ドクさん(43)は2人の子の父となり、ベトナム南部ホーチミンで家族と暮らす。子どもの健やかな成長に幸せを感じる一方で、一家の稼ぎ手として生活の厳しさや体調の不安に直面する。(ホーチミンで、井上京佳、写真も)

長女のアインダオさん(中)と長男フーシーさん(右)の成長を喜ぶドクさん=いずれもベトナム・ホーチミンで

 枯れ葉剤 ベトナム戦争中に、米軍が南ベトナム解放民族戦線の隠れ場所や耕作地を破壊するため、森林に散布した合成化学物質。1961年から10年間で、7300万リットル超がまかれ、その3分の2に毒性の強いダイオキシンが含まれていた。直接浴びたり、散布地域の水や農作物を口にしたりした人に、がんや糖尿病などを患う人が多い。子や孫にもまひや奇形、視覚・聴覚障害などが起こる。被害者団体「VAVA」によると、ベトナム人480万人がさらされ、犠牲者は300万人とされる。米国などの帰還兵にも健康被害があった。

◆日本で治療・歩行訓練、子どもの名前は日本の…

 ホーチミン中心部の間口の狭い家々が並ぶ住宅街。5月上旬のある日の夕方、右足だけで乗れるように改造したバイクの後部座席に学校帰りの双子を乗せたドクさんが帰ってきた。  子どもたちは14歳で、高校受験を目前に控える。ドクさんは妻と交代で、学校や塾への送迎と入院する義母の世話をする。「一日があっという間に過ぎていく」。玄関前のベッドに腰かけたドクさんの表情には疲れがにじんでいた。

3輪バイクに乗るドクさん=ドキュメンタリー映画「ドクちゃん-フジとサクラにつなぐ愛-」から

 ドクさんは1981年、中部コントゥム省で、兄ベトさんと下半身がつながった状態で生まれ、ホーチミンのツーズー病院にある療育施設で育った。枯れ葉剤の被害とみられる結合双生児はすぐに亡くなるケースが多かったため、2人の姿は大きく報道された。  86年には、ベトさんが急性脳症で意識不明に。命に危険があるとして88年に分離手術を受けた。手術前には日赤医療センター(東京)で治療を受け、日本でも注目された。  その後、日本の病院で義足の歩行訓練や肛門の手術を受けた。職業訓練学校でコンピューターの技術を身に付けたドクさんは、ツーズー病院の事務職に就き、妻テュエンさんと結婚。2009年に双子の男女が誕生した。  長男はフーシー、長女にはアインダオと名付けた。ベトナム語で富士と桜を意味する。「日本の援助のおかげで自分は成長し、家族を持つことができた。感謝と結び付きを子どもたちに受け継ぎたいと考えた」

◆「有名で豊かと思われることも…実際はぎりぎり」

 「分離手術で有名になり、豊かな生活をしていると思われることもあるが、全くそんなことはない」。ドクさんは現在、病院の事務と自身が理事長を務めるベトナムと日本との親善団体「ドク・ニホン」の仕事を掛け持つ。  「子どもたちが健康に大きく育ってくれたことはうれしい」と喜ぶ一方で、学費や食費がかさむように。政府から支給される補償金は1カ月78万ドン(約4800円)で、「生活はぎりぎりだ」。  少しでも生活の足しにするため、バイクで荷物を運ぶ仕事も請け負う。ドクさんが配達することに驚く人はいないのかと尋ねると、「ベトナムでは枯れ葉剤の被害者や障害者にあまり関心を持つ人がいないから」と残念そうに語った。  戦争終結から49年。人口の6割近くを30代以下が占め、経済発展が著しいベトナムでは、戦争は遠い過去の出来事になりつつある。

◆「ベトの命をつないで自分は生かされている」

ベトナム戦争証跡博物館の枯れ葉剤の被害者を紹介するコーナーには、ベトさんとドクさんの写真も数多く展示されている

 今年5月、ドクさんの半生を記録したドキュメンタリー映画「ドクちゃん―フジとサクラにつなぐ愛―」が公開された。映画では実親との確執などもさらけだした。「障害者や戦争の被害者の生活に思いをはせてほしい」と願いを込めた。  分離手術の後も10回以上の手術を受けてきたドクさん。「あとどれぐらい生きられるだろうか」。一つしかない腎臓の調子が悪く、現在は人工ぼうこうのストーマを付けて生活する。慢性的に疲れやすく、そのたびに下腹部が痛む。  それでも、平和への思いは揺るがない。国内外で講演活動に励み、日本への渡航は54回を数える。心の支えは、分離手術後の07年に26歳で亡くなったベトさんの存在だ。一つしかない直腸や性器、ぼうこうを与えられたドクさんは「ベトの命の力をつないで自分は生かされている」。  ベトナム戦争の記憶は人々から薄れ始め、世界では戦禍が絶えない。「武器に頼るのではなく、対話をして互いの思いを交わすこと。それが平和への一歩であり、それ以外にないと思う」。はっきり言い切った。    ◇   ◇    

◆ベトナム戦争後の生まれでも健康被害

長女のティエン・アンちゃん(左)を抱くチャン・ティ・ホアンさん

 枯れ葉剤の健康被害は、複数世代に及ぶ。ベトナム南部出身のチャン・ティ・ホアンさん(37)は戦後の1986年生まれだが、生まれつき両足のももから下と左腕の一部がない。療育施設で育って自立し、昨年には1児の母になったが、「今後も子どもや孫に影響が分からない不安はある」と語る。  「義足よりこっちの方が歩きやすいんです」。両足に30センチほどの装具を付け、手首から先がない左腕で娘のティエン・アンちゃん(1)が乗るベビーカーを押す。小さな段差のたびに車輪を持ち上げて進む。  「健康な人にはわずかな起伏でも、私には非常に大きな障害になる。でも家族が持てたので、幸運です」

◆心ない言葉、視線を避けて生きてきた

 ホアンさんは枯れ葉剤散布地域の南部ビントゥアン省の出身。きょうだい5人に障害はないが、弟は生まれてすぐ亡くなり、姉は30代で病死。母は流産を繰り返した。  ホアンさんは8歳から22歳ごろまで、ドクさんも過ごしたツーズー病院にある療育施設で暮らし、大学まで健常者とともに通ったが、校舎にエレベーターがなく移動に苦労した。  ただ、困難はそれだけではなかった。周囲から奇異の目で見られ、「友達と遊ぶことはあまりなく、寂しかった」。心無い言葉や視線を避けるために、自分のことをあまり語らなくなった。大学卒業後は自立し、携帯電話の輸入販売会社を立ち上げた。

◆複数世代に及ぶ健康被害、メカニズムは未解明

 一方、ホアンさんは枯れ葉剤の被害者団体「VAVA」の一員として2008年から計3回、米国政府への要望などのために渡米した。その際、母子保健や産婦人科の専門家と出会い、枯れ葉剤の影響を受けた体で家族を持てるのか考え始めた。ベトナムで産婦人科医の権威とされる医師にも「子どもに影響が出るかは分からない」と言われたが、夫と話し合い、出産を決意した。  生まれた長女に障害や大きな病気はない。ただ、この先も健康被害が出ないとは言い切れず、「一日一日を元気に育ってほしい」と願う。  VAVAの調査では、実際に枯れ葉剤にさらされた人を第1世代とすると、ホアンさんら第2世代は15万人、第3世代は3万5千人、第4世代は2千人とされる。正確な被害者数や、複数世代に及ぶ健康被害のメカニズムの全容は解明されていない。  渡米時に米国人から謝罪や被害者に寄り添う言葉を掛けられ、「自分の生き方や言葉で、平和の思いを広げたい」と思うようになったホアンさん。「国家間で起きたことを悲しむより、枯れ葉剤の非道さを広く知らせる使命感の方が大きい」と自身の経験を語る活動に携わっている。 

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