毎年夏に、日本と朝鮮半島にとって大切な三つの日付が巡ってくる。

◆6月25日 開戦

 1950年6月25日、北朝鮮軍の韓国侵攻で朝鮮戦争が始まった。朝鮮半島全域が戦場となり、犠牲者は民間人を含め数百万人とされる。開戦を機に日本は「基地国家」化していった。

「基地国家の誕生」 南基正著、市村繁和訳

 韓国軍を米軍主体の国連軍が支援。日本は直接参戦しなかったものの国連軍の後方基地となった。米軍は日本の駐留地から朝鮮半島に出撃。国内の軍需工場は再稼働した。機雷除去の船や、国連軍兵士や物資を朝鮮半島に運ぶ船に日本人船員が乗り込んだ。ソウル大学の南基正(ナムギジョン)・日本研究所長の著書「基地国家の誕生」(東京堂出版)に詳しい。

◆7月27日 休戦

 53年7月27日に、国連軍と北朝鮮の朝鮮人民軍、中国人民義勇軍との間で休戦協定が結ばれた。法的には今も戦争状態のままで、緊張状態が続いている。北朝鮮は核、ミサイル開発を進めている。南北軍事合意の効力が停止し、韓国は対北宣伝放送を再開した。  休戦協定が結ばれた当時、日本は「国防国家」にならなかった。南所長は著書で、日本が再軍備して参戦していれば「東北アジアを舞台とした世界戦争の勃発」も否定できなかったと指摘。「基地国家」にとどまったことは「朝鮮戦争を休戦として終息させる隠れた要因」だと分析する。  休戦から70年余。今の日本をどう見るか。南所長は本紙にこうコメントを寄せた。  「2015年の安保法制の成立を契機に日本は基地国家からの逸脱を試み、22年の(反撃能力・敵基地攻撃能力保有を柱とした)安保関連3文書の閣議決定で事実上の国防国家に変貌しつつある。その過程で憲法9条は形骸化した。韓国は事実上の国防国家となった日本と、事実上の同盟を結ぼうとしている。そうした変化に北朝鮮は、韓国との関係を『敵対的国家間関係』に転換することで適応しようとしている。その転換が東アジアにおける秩序変動の傾向を加速化している」

◆8月15日 敗戦

 1945年8月15日、日本は戦争に負けた。当時、約70万人の一般邦人が朝鮮半島に暮らしていた。38度線以南の45万人は46年春までにほぼ引き揚げたが、38度線が封鎖され、北側の25万人と中国東北部から逃れた人の計32万人は引き揚げが滞り、生活は困窮した。  引き揚げに尽力したのは30代で元左翼活動家だった松村義士男氏(故人)ら民間人だった。ジャーナリストの城内康伸氏は膨大な資料や当事者の証言を集め、近著「奪還」(新潮社)で38度線以北からの脱出に光を当てた。

新刊「奪還」城内康伸著

 城内氏は語る。「戦争が終わって国民がほっとした時から、海外邦人の地獄が始まった。当時の政府は何もせず、朝鮮半島の邦人は『棄民』となった。活躍したのは治安維持法で苦しめられた民間人だ。国や政府、権力はどれだけ信頼できるのか。民主主義体制になって間もなく80年の今、もう一度考えてもらいたい」  私たちは何をしてきて、今、何をすべきなのか。今年も訪れる開戦、休戦、敗戦の節目に、南所長や城内氏の言葉をかみしめながら、読者とともに考えたい。(篠ケ瀬祐司)


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