終戦から79年を迎え、戦争を直接知る世代は減少の一途を辿っています。語り部として被爆体験を伝える男性、そして被爆者の全国組織で初めて被爆2世で代表理事となった女性、この2人の姿から戦争記憶の継承について考えます。

小林一男さん:
『お前はもし特攻隊に行けと言われたら行くか』といきなり質問された私はびっくりして、とっさに『私は行く気がない』とか言ってしまって…。よもや我々にまでまわってくるなんて想像もしていなかった。

松江市に住む小林一男さん94歳。上官から突然「特攻」の意思確認をされたのは、陸軍の特別幹部候補生に志願し、訓練に励んでいた15歳の時です。
質問の真意は今でも分からないといいますが、その後、1945年7月、陸軍船舶司令部の通信部隊があった広島市へ配属されました。
そして8月6日、爆心地から1.5キロほど離れた広島市千田町で被爆、朝礼に参加していた時でした。

小林一男さん:
赤い球が降ってきた。すると同時に爆風。被っていた帽子が半分焼け焦げて、それから着ていた半袖シャツも左半分なくなって、焼けて吹っ飛んでいた。

少しでも安全な場所へと、小林さんは集合命令に背き、仲間5人と避難できる壕を目指し、歩き始めました。しかし…。

小林一男さん:
1人、2人と落伍していってしまってね。最後に一番仲の良かったのと2人になって途中で歩けないようになって『どうにもならないからとにかく一緒に行こう』と、でも『もうだめだと』。足をやられていたんです誰もが、当時は半袖、半ズボン、足をやけどしている。私はその時、たまたま幸か不幸かズボンの洗濯が間に合わなくて、履くものがなくて、長いズボンを履いて朝礼に出ていた。

命運を分けたのは、洗濯が間に合わず履いた冬用の長ズボン、火傷を免れた足で、1人歩き続けました。
小林さんは、今や県内でも数少ない語り部として、子どもたちに被爆体験を伝えていますが、その根底には亡くなった仲間たちへの償いの気持ちもあるといいます。

小林一男さん:
見捨てていってしまったこともあるし、運よく自分は助かったが、後のみんなは亡くなってしまって、このままにしてはいけないと。それが一番語り部になった気持ちですかね。今年いっぱいくらいが限界でしょうかね。来年になるとやれるか分からない。とにかくやれるだけはやっていかないといけない。

8月6日、小林さんをはじめ、島根県内に住む6人の被爆者の体験が、松江市内のパネル展で公開されました。

訪れた人:
この中で生きてきたのはすごいと思う、見るだけで涙が出てくる。

被爆者の平均年齢が91歳と、全国で最も高い島根県。2023年度も1年間で60人以上が亡くなった中、県の原爆被爆者協議会が被爆者の証言を未来に残そうと2022年から紹介しています。

被爆2世の本間恵美子さん。島根県原爆被爆者協議会の会長を務めています。

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
(母は)本当に詳しいことは言わなくて、1回「どうだったの?」と聞いたら「すごかったよ」の一言でした。他には何も言わなかった。思い出したくなかったのではと思います。体験がないことなので、その体験のないところを体験した人たちの思いをどうつないでいくか、引き継いでいくか非常に難しい所であると思う。ただ途絶えさせてはならない。

2024年6月、本間さんは原爆被爆者の全国組織「日本被団協」で、ブロックごとに選出される12人の代表理事の1人に選ばれました。被爆2世が代表理事になるのは初めてです。

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
ちょうど今過渡期なんです。まだ被爆2世には渡さないという思いは、元気な方はあると思う。私は2世だから、被爆者だからということではなくて、同じようにやっていく。

少しでも戦争や被爆の記憶を後世へ…本間さんは精力的に活動しています。

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
お盆前の大変お忙しい時だが、たくさんお集まりいただきありがとうございます。これは勉強会をしたいという話になりまして、きょうの日を迎えました。

8月12日、松江市で開かれた勉強会。テーマは太平洋戦争末期の沖縄戦です。本土決戦への時間稼ぎとも言える日本軍の徹底抗戦で、民間人の死者は約10万人に上りました。地域の歴史を学ぶため、定期的に集まる地区の住民が中心ですが、中には初めて参加したという若い世代も。

参加者:
29歳です。初めてだったが、中東とかウクライナとかでは戦争が収まっていないので、いかに戦争を止めることができるかが問われていると思う。

いまも世界各地で起こる紛争で、罪のない人たちが命を奪われています。2025年で戦後80年という節目も控える中、本間さんは改めて平和の尊さを見つめ直して欲しいと話します。

島根県原爆被爆者協議会・本間恵美子会長:
原爆に限らず、戦争というものが決して人を幸せにするものではないというのは確か。私自身も戦争を知らない戦後生まれだが、そういう時代が日本にもあったということは、きちんと抑えていかないといけないと思っている。そういう今の私たちの幸せが、(戦時中に亡くなった)皆さんの犠牲の上になっていることを知っていかないといけない。

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