あっという間に世界第2位の経済大国として外交・経済両面で影響力を発揮するようになった中国。驚くべき成長を象徴する巨大都市が、香港に隣接する広東省深圳だ。今、居住人口1700万超の深圳を舞台にした半ば「都市伝説」のような物語が、中国全土に広がっている。

名付けて「深圳離婚ブーム」。偽装に近い離婚で、売れないマンションを現金化できるという魔法のような話だ。これが中国の対話アプリ、動画などを通じてバズっている裏には、中国の深刻な住宅・不動産不況で生じたローン債務がある。

高層ビルが立ち並ぶ中国の広東省深圳市

「深圳離婚」伝説が広がり始めたのは2023年秋からだ。そのころ開催が期待されていた中国経済を巡る共産党の重要会議、第20回党大会中央委員会第3回全体会議(3中全会)の延期が話題になった時期である。

元妻が元夫に住宅売却で魔法の現金化

不動産事情に精通する中国の企業人が側聞したという例を紹介したい。ビジネスで成功した中年の中国人夫婦(子供1人)は共に資金を出し合い、深圳で日本円換算にして2億円超の豪華マンションをローンを組んで購入した。

景気がまずまずだった新型コロナウイルス感染症拡大の前であり、日本円で2億円近いローン債務は問題なく返済できると踏んでいた。ところが、夫婦が営むビジネスは、折からの不況で大きな痛手を被る。

そこで虎の子の豪華マンションを売却し、巨額ローンの残債返済とビジネスの運転資金に回そうと考えた。だが、住宅バブル崩壊のあおりで、実勢価格はみるみる下がり、思うような値で売れないばかりか、買い手さえまったく現れない。

困った夫婦はそこで一計を案じた。離婚による資金捻出である。まず、夫婦の財産だったマンションは、離婚時の財産分割で全権利を子供の面倒もみる元妻側に渡す。離婚理由は何でもよい。

伝統的な家族観が崩れつつある中国の大都市部では離婚は一般的だ。近年、深圳の離婚率は全国でも有数の高さに。一時は結婚した2組の夫婦のうち1組は離婚するとまでいわれた土地柄で、同じ広東省内の大都市、広州よりもかなり高い。離婚申請が偽装かどうか瞬時に見分けるのは難しい。

夫婦は一定期間、別居するが、実態はあまり変わらない。しばらく時間を経て、元妻は自分の持ち物である豪華マンションを売りに出す。巨額のローン債務に耐えきれなくなったのが理由だ。ここは真実に近い。

この偽装劇のクライマックスは、ここで元夫がマンションの買い手として突然、現れる場面だ。厳しかった住宅購入規制は徐々に緩和され、元妻から物件を買う元夫は金融機関で住宅ローンを組める。形式が整い、見合う担保さえあればよい。成約数が統計上、増えるのは当局も歓迎だ。

購入時には、物件価格の何割かに当たる頭金をそろえる必要があるが、こちらも徐々に減額され、金利も低下傾向。審査が通れば、マンションの名目資産価値に見合う巨額資金が、元夫婦の手元に入るという皮算用だ。

この巨額資金は、以前に組んだ元夫婦の巨額ローン債務の返済に充てるほか、ビジネスの運転資金に回す。それでも残れば、外国に持ち出して外貨に交換し、今後、利益を生み出せる海外不動産を購入する選択肢も考える。

円安の今、これは単なる夢想ではない。日本での中国人による土地購入に詳しい不動産関係者は「東京中心部以外なら、投資額が最低2500万〜5000万円もあれば、日本人が買わない好条件の再建築不可物件を購入できる。きれいに修繕して民泊施設として利用すれば、十分な利益を出せる」と解説する。2500万円なら元夫婦が深圳で豪華マンションを購入した当初価格の10分の1にすぎない。

元夫がローンを返済できず、踏み倒した場合はどうなるのか。中国の金融機関側は、担保であるマンションを差し押さえ、競売に出すことになる。この偽装離婚劇の結末は、元夫婦が持っていた売れない豪華マンションを、金融機関が買い取ったのと同じ構図になる。元夫婦はついに現金化に成功する。

かつて中国の住宅価格がうなぎ登りだった時期には、厳格な購入戸数規制をかいくぐって、もうひとつ投資物件を買う権利を得るために、あえて偽装離婚に踏み切る投機手法が取り沙汰された。当時、当局は抜け穴を防ごうと躍起になった。だが、買い手がつかないマンションの現金化のため離婚し、元夫婦の間で売買するのは新手だ。

ただし、こんなうまい話が、数件のまれな例ではなく、大々的なブームにまでなるのだろうか。大いに疑問がある。元夫は社会信用スコアが地に落ちてブラックリストに載る。正常な社会生活を送れなくなるからだ。

中国のメディア事情に詳しい人物は「バズっている深圳離婚話の大半は極度に誇張されたものか、ウソだ。ネット上のクリック数稼ぎが目的だろう」と指摘する。一方、別のメディア関係者は「既に中国全土で知られた話だ。誇張があっても『根幹部分はおおよそ真実』と受け止められている。深圳で理由不明の離婚が多いのも事実である」と解説する。

BYDの新エネルギー車(広東省深圳市)

深圳には電気自動車大手、比亜迪(BYD)や通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)も本社を構える。都市伝説のバズりには、中国庶民が深圳人に抱く先入観も関係している。「チャイニーズ・ドリーム」めざして深圳に集まる人々は絶対に損しないよう頭を使うというイメージである。「深圳離婚」はいかにもありそうな話なのだ。

既得権益層も庶民も不満

もうひとつ見逃せないのは、中央政府の住宅・不動産問題への無策ぶりに各層が抱く不満だ。不動産を複数持つ富裕層は、資産価値の急速な目減りに怒っている。一方、不動産を持たない、いや持てなかった全国の庶民層は、関係ない富裕層の問題で自らの生活まで苦しくなった現状に怒る。

北京市内で開かれた中国共産党の3中全会=新華社・共同

そして7月半ばからようやく開かれた3中全会でも、相反する2つの階層が抱く怒りを解消する道は示されなかった。最大の問題は、「不動産長者」である既得権益層が強く抵抗する税制改革だ。

土地が国有である中国には、いまだ住宅不動産の保有税がない。日本でいえば、固定資産税を徴収する仕組みが存在しないのだ。日本円で数億円の住宅を複数持つ金持ちも保有税を支払う必要はない。

さらに遺産相続の際、相続税もないため、資産格差が世代を超えて固定化される。社会主義を掲げる中国の大きな矛盾である。できないのは、既得権益層が広範な裾野を持つ共産党幹部と重なっているからでもある。

7月の3中全会の閉幕後、3日後に発表された「決定全文」をよく読めば、しっかり今後の税制改革を提起しているではないか。きちんと評価しないのはおかしい、という反論もあるだろう。

確かに長年の課題だった不動産税(固定資産税)関連では「不動産に関する税収制度を改善する」という及び腰の表現が入った。だが、実行が固まったとする判断は、早計と言わざるをえない。

3中全会閉幕の直後、現場討論要旨として、まず発表するのがコミュニケだ。ここにはっきりと明記できないなら、大胆な改革はなかなか進まない。遅れて発表する決定全文でやっと明らかにしても、それは党官僚らの理想を示す作文にすぎず、より高い政治レベルで抵抗があれば貫徹されない。それが11年前の重要会議の教訓だ。

11年前の重要会議とは、習近平(シー・ジンピン)が党総書記と国家主席を兼任してから初の第18回3中全会(13年秋開催)である。この時も、決定全文では、コミュニケでは無視された多くの改革が提起されていた。

注目されたのは同じく不動産税。コミュニケでは抜け落ちていた「不動産税に関する立法を加速し、適当な時期に改革を推進する」という、かなりはっきりした表現が入っていた。今回の3中全会の決定全文よりも明確である。しかし11年を経た結果をみれば、貫徹されなかったばかりか、むしろ後退している。

習政権は不動産税制改革を断行できるか

深圳は、習の一族にとっても縁深い土地柄だ。父、仲勲は「改革・開放」後、広東省第一書記として何もなかった深圳の開発に着手する。その経緯もあり、晩年の仲勲と妻(習の母)は深圳で過ごす時間が長かった。習の姉夫妻のビジネス拠点も深圳だ。一族という観点からみれば、深圳にはそれなりの経済的なしがらみを持っていた。

「共同富裕」を体現する公共賃貸住宅が入る広東省深圳市のマンション群

その習は今、中国トップとして、皆が共に豊かになれる社会をめざす「共同富裕」を掲げている。7月の3中全会での所得税を含めた税制改革の方向性も社会主義に一歩、近づくことだ。その証拠に、ハイテクの都、深圳でさえ公共賃貸住宅の整備に力を入れ始めた。

カギを握るのは、既得権に手を突っ込む大胆な住宅・不動産税制改革。それは既に強い権力と権限を手に入れたはずの習でさえ実行できず、再び竜頭蛇尾に終わってしまうのか。利にさとい深圳の人々が、行方を注視しているのは間違いない。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
  • 著者 : 中澤克二
  • 出版 : 日経BP 日本経済新聞出版
  • 価格 : 2,090円(税込み)
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