高田ロバート駐日ドミニカ共和国大使(7月23日、東京都千代田区)

日本に戻ってくるとしたら次は大使として――。かつて友人に冗談で伝えた言葉は現実となった。10〜20代の約10年間を日本で過ごした経験を経て、2021年に日系人で初めての駐日ドミニカ共和国大使として再来日した。今年、国交樹立90周年を迎える両国の橋渡し役として日々奔走する。

初めて日本を訪れたのは1995年、17歳の時だった。カトリックの聖職者になる夢を諦め、進路に迷っていたさなかだった。「日本に行って、自分が今後何をしたいか考えてきたらどうか」。日系移民1世の父の提案に背中を押され、神奈川県愛川町に生活拠点を移した。

愛川町でおよそ10年間過ごし、物流関連の企業で工場勤務を経験した。時間順守の意識や仕事を忠実にこなす習慣を身につけたといい「人生で大切なものを学ぶ重要な期間だった」と振り返る。

元勤務先の従業員などに向けて講演する高田氏(5月、神奈川県厚木市)

帰国後は大学に進み、国際政治や法律を学んだ。日本の経済発展に触れた経験が進路を決める一助になったという。学生インターンを経て、2006年から外務省でのキャリアをスタートした。

日系移民2世として、日本を身近に感じながら育った。自宅には鹿児島県から移民した父が持ち込んだ日本の漫画が置かれていた。歌好きな父に演歌を披露してもらう機会もしばしばあったという。

当時は日本語をあまり話せず、内容を理解するのは難しかった。それでも「情景が自然と伝わってくるような不思議な感じがあった。それが日本に対する憧れにつながったのかもしれない」と振り返る。

ドミニカ共和国は1934年に日本と国交を樹立した。第2次世界大戦に伴う国交の断絶がありつつも、日系移民の受け入れや日本による経済支援を通して関係は深まった。今では野球の強豪やコーヒー豆の生産地として日本での認知度が高まっている。

「人と人とのつながりを深めていきたい」。両国政府高官の往来が活発になっている状況を踏まえ、今後の抱負をこう語る。音楽や食事といった豊かな文化に加え、カリブ海諸国でも有数の成長率を誇る経済についても日本向けの発信を強化する。「ドミニカ共和国の新しい顔や姿を日本の方にもっと知ってもらいたい」

(小林拓海)

Robert Takata 1977年、ドミニカ共和国で日系2世として生まれる。2006年から外務省で勤務し21年より現職。6月には国交樹立90周年を記念して同国出身の選手が多く所属する埼玉西武ライオンズの2軍戦で始球式に臨んだ。

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