医師偏在を解消するため韓国政府が医学部の定員増を打ち出し、研修医が医療ストを始めてから半年以上が過ぎた。救急搬送拒否などが増え、治療への不安を訴える重症患者の声が強まっているにもかかわらず、政府、研修医側ともに妥協の姿勢を示さないままだ。対立が1年以上続くとの悲観論も出ている。(ソウル・上野実輝彦)

◆「もう医者は信じられない」

 「これ以上、治療はできないから退院しろと言われました」「緊急の患者しか診てもらえないそうです」「もう医者は信じられない…」。韓国内の食道がん患者や家族ら400人が集まるチャットルームでは最近、こうした声が飛び交う。  韓国がん患者権益協議会代表で、自身も10年間、食道がんの治療を続ける金成柱(キムソンジュ)さん(61)によると、この半年で末期患者の治療をあきらめる医療機関が増えたという。金代表は「たとえ末期でも最後まで手を尽くすことが、患者や家族の心の安らぎになっていた。ストの影響で、病院が『心のケア』をする余裕がなくなった」と嘆く。

ソウル市内で8月、がん患者家族の悩みにチャットルームで返信する金成柱さん=上野実輝彦撮影

◆主要ながんの手術件数が17%近く減る

 韓国報道によると他にも、現場の医師不足が理由で救急搬送を断られ、患者が死亡したり意識不明に陥ったりする事案が相次いでいる。救急患者の受け入れを制限する医療機関が昨年の2~8月と比べて20%以上増加。一方で主要ながんの手術件数は17%近く減るなど、ストの影響は如実だ。  こうした中、与野党と政府、医師による協議機関設置を政界が提案するなど仲裁の動きもあるが、医師側は応じる意向を見せていない。ストに参加せず勤務を続ける医師の個人情報をインターネットでさらす「ブラックリスト」が取り沙汰され、暗に圧力をかけるような動きも生じている。  尹錫悦(ユンソンニョル)大統領も8月の記者会見で「非常医療態勢は円滑に稼働している」との認識を示し、医療改革を貫徹する意向を改めて表明した。医師側との協議を呼びかけるものの「定員に関する科学的で合理的な案」の提示を前提条件にしており、実質的に歩み寄る気配はない。

尹錫悦大統領(2023年)

 患者の苦境にもかかわらず政府、医師側双方が妥協しない理由について、ソウル大看護学科の金鎮晛(キムジンヒョン)教授は、過去にもあった医師数増を巡る議論で、医師側が主張を通してきた経験が大きいとみる。

◆引き下がれない政府、対立は短くて来春まで?

 尹政権に対し「医師側の抵抗に遭い定員増をあきらめた過去の反省や、この半年間で費やしてきた政治的資源を考え、絶対に引き下がれない状況だ」と分析。医師側については「患者の命を人質にとって、過去のように政府が白旗を揚げるのを待っている」と批判する。対立は短くても来春まで続くと予想し「増員数を減らしたり金銭面の待遇を改善したりする政府の譲歩を、医師側が受け入れるのが望ましい」と訴える。  韓国ギャラップの9月の世論調査では、定員増を巡る政府と医師側の支持は拮抗(きっこう)。これまでの調査と比べ、政府に対する支持は緩やかに減少傾向だ。  金成柱代表は「医療の空白に患者が最も犠牲になっている。医療問題を政争の具にしてはいけない」と訴えている。 

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