〈連載 ミャンマーの声〉
 ミャンマー北東部シャン州で少数民族武装勢力が国軍に一斉攻撃を仕掛けてから、27日で1年たつ。クーデターを起こした国軍と、民主派や少数民族との内戦は、収束の見通しが立っていない。クーデターから3年半余り。抵抗運動に参加し、平穏だった人生の歩みが一変した若者は少なくない。(北川成史)

◆日本に行きたかった

 民主派の武装組織「国民防衛隊(PDF)」のシュエボー(28)は戦闘中のけがの治療のため、2月ごろから隣国タイにいる。

以前は技能実習生を目指していたシュエボー=タイで

 農業が盛んなミャンマー北部ザガイン地域出身。日本の技能実習生となり、農業分野で働きたいと望んでいた。クーデター前、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権時代に、ミャンマーへ支援や投資を進めた日本に好印象を持っていたからだ。  日本語を勉強するため最大都市ヤンゴンにいた2020年、コロナ禍で日本語学校が休校に。そして2021年2月1日、国軍によるクーデターが発生した。

◆同世代が殺される中、海外行きは「ぜいたく」と感じた

 クーデターへの抗議デモに参加したが、国軍の弾圧が強まり、民主派と連携する少数民族武装勢力の支配地域に逃れた。そこで軍事訓練を受け、PDF隊員になった。「軍の弾圧で同世代の若者が殺されている中で、海外に働きに行くのはぜいたくなように感じた」  国軍との戦闘中に2度、大きなけがをした。最初は右ももを銃撃された。2度目はドローンや戦闘機の空爆に遭い、足を負傷した。タイではその治療をしつつ、ミャンマーからの避難民の支援などをしてきた。  昨年10月の一斉攻撃後、PDFや少数民族が国軍に対して攻勢に出ている。シュエボーは「軍には戦意がない」とみる。国軍で弾薬を製造する2人のいとこにはこう言われたという。「もしおまえたちが来たら、弾薬を好きなだけ持っていかせる。俺たちは、軍から逃げると家族まで罪を着せられるから残っているだけだ」

◆頭に砲弾の破片「銃を取るのは怖かったけれど」

 治療目的でタイに渡るPDF隊員はほかにもいる。  ヤウンニー(22)の頭には金属片が入っている。戦場にいた今年2月、国軍の砲弾が近くで爆発したためだ。周りでは7、8人が犠牲になった。

砲弾の破片が入っているあたりを指さすヤウンニー=タイで

 クーデター時はヤンゴンで高校生だった。デモに参加後、少数民族の支配地域に逃れ、PDFに入った。  「デモに加わった仲間が殺されたり、拘束されたりしている。銃を取るのは怖かったけれど、じっとしていられなかった」とヤウンニーは振り返る。  「体調がよくなったら前線に戻りたい」と話す。一方で「『頭の破片は脳に近いため、手術して取り出せない』と医師に言われた。暑かったり、寒かったりすると痛む。いつ戻れるかはわからない」と漏らした。

◆「国民防衛隊」で妻と出会った

 キンライン(32)はタイで食料を調達し、PDFの部隊に送る後方支援をしている。元はミャンマー中部マンダレーで宝石販売業をしていた。クーデター後、PDFに入ったが、内臓を患って前線を離れた。

アウンサンスーチーの肖像を模したアートを手にするキンライン(左)と妻=タイで

 劣勢の国軍は2月、徴兵制の実施を発表。空軍力にものをいわせ、空爆を繰り返している。キンラインは「軍は弱体化し、徴兵制や空爆に頼っている」と吐き捨てる。  一緒にいる妻(28)もPDFの一員だ。クーデターまでは看護師だった。PDFに参加後、2人は出会った。「革命(抵抗運動)が終わったら、盛大な結婚式を開く」とキンラインは思い描きつつ、現状の厳しい側面も口にした。「軍の徴兵を嫌がる若者がPDFに入り、隊員は増えたが、その分の食料が必要だし、武器や弾も足りない。空爆がなければ私たちは勝てる。でも、中国などが戦闘機用のジェット燃料の輸出をやめない」(敬称略) 

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